「幸せへの御名99」プロジェクトは終了しました。
参加人数:174名
唱えられた神の御名の数:1124万2044回
ご参加くださいましたみなさま、支援してくださいましたみなさま、見守ってくださったみなさま、これをご覧くださっている方、ありがとうございます。
本日より、新たな100周年の年が始まりました。
皆さんと共に、世界の平安に付与できる内なる変容を目指し、
神の御名と共に歩んで参りましょう。
「幸せへの御名99」プロジェクトは終了しました。
参加人数:174名
唱えられた神の御名の数:1124万2044回
ご参加くださいましたみなさま、支援してくださいましたみなさま、見守ってくださったみなさま、これをご覧くださっている方、ありがとうございます。
本日より、新たな100周年の年が始まりました。
皆さんと共に、世界の平安に付与できる内なる変容を目指し、
神の御名と共に歩んで参りましょう。
このプロジェクトは皆様の真摯な想いのお陰で、終えることができました。
参加者の174名は、近年の中では大勢です。
これも私たちが神様に引き寄せられ、集められたからかもしれません。
このプロジェクトには中心となる人物もリーダーも存在しませんでした。
事務局はただ届いたお便りをメールにして送るだけの事務的な役割です。
引っ張っていく役割がいないにも関わらず、私たちはひとつになり、変容へと結びついていきました。
分からないことがあると、分かる人が答える。
アドバイスがあると、優しくメッセージする。
人の言葉を自分の学びへと繋げ、我が事のように共感する。
正に愛のコミュニティであり、奇跡の時間を共に体験をすることができました。
ひょっとしたら、このような社会が理想の社会なのかもしれません。
みなさん各自に最後の役割が残っています。
終えることができたことを、みなさんそれぞれの神様に感謝をすることです。
みなさん一人一人が、「私たち」として感謝をする。
私が、99日間、1千100万回、私たちとなって唱えたことを。
「私」と「私たち」は、ひとつで、同じです。
東京サイセンターでの御降誕祭の中でこのプロジェクトについて参加者の一人が「私たち」としてスワミに感謝の報告をする時間があります。
https://www.youtube.com/@TokyoSaiCenter
お時間が許す方はご覧になってはいかがでしょうか。
どのような御名と御姿に対してであれ、
あなた方の神への信愛がますます深みを増し、
さらに大きな神の恩寵を得ることができるよう、
私は皆さんを祝福します。
1964年3月13日
サットサンガは別のかたちで続けられたらと思います。
全国で130人ぐらいはいるのでしょうか?
たぶんおそらく会うことはできないと思いますが、メールでのサットサンガならいつでも皆さまとお会いできます。
東京に行くだけで往復の交通費と、帰りの高速バス時刻(本数が少なく)や東京駅で歩いたり迷ったりすることを予想すると18時にはサイババセンターを出ないと帰れなくなることを気にすると、なかなか東京には行けないんです。
メールのサットサンガなら交通費も時間も気にする必要がなくなります。
皆さまが前向きに進んでいらっしゃるのに、これで終わるのはもったいなく感じます。
私自身は今日、子供に戻りました。年々、歳を重ねるごとに若くなっているのを感じていたのですが、今日は夜勤から帰ってきて朝、自分が子供になっているのを知りました。全てが安全で守られている感覚が私にとっての子供の感覚です。サイババさんは私にとって母です。親ならきっと子供を想って導くと思います。サイババさんを知ってからやっと私は親に逢うことができたと思いました。
皆さま、3ヶ月間ありがとうございました。毎日、メールを編集して手間暇かけてお仕事をされている方達にも感謝いたします。これは魂での同じグループらしいです。
この数ヶ月日々メッセージに感銘を受けておりました。特に数日前の全託の祈り、神がひたすら待っているのは帰依者の全託のみという御教えでした。逆に自分が世俗の悩みにいかに翻弄されているかを再認識させられ、克服していくのが残りの人生の努めだと思いました。
ガネーシャ チャトゥルティーのお祭りで、司祭が、ガーヤットリー マントラを唱える際に、仰った言葉
「ガーヤットリー マントラを、全身全霊を込めて(だったと思いますが)大きな声で唱えたらば、エゴが消滅する。」と。
確かに、3回唱えますと、空気が一変し、清まった感じになります。ならば、神の御名を心の中だとしても、全身全霊を込めてお唱えすれば、きっとエゴが消滅して、神様の御心通り、みんなが幸せになる日がくるに違いありません。と、信じて、皆さんと一緒に、これからもずっと、お唱えしてゆきたいと思います。
改めて、このプロジェクト(私は、途中参加で一か月)、思い切って参加させてもらって、よかった!と思います。サーダナは、遅すぎることは無くても、始めないと進まない。参加させてもらって、毎日のメールで学ばせてもらって、少しですが、前進できたと思います。参加していなかったら、ゼロだったかも。なので、みなさんに感謝です!
春先より 体調を崩し、このプロジェクトを知ったのも少し遅れてからでした。何とかカウンターを入手し、その日からベッドで神の御名を唱えることを開始しました。
これまでの私の忙しい人生の中に、 1日中ババ様のことを考える時間と、出会う人全てに、神の御名を唱え、そこに神を見る、という幸運をいただきました。そしてこの[サイラム]という言葉の中に、ババ様の溢れるような慈悲と恩寵があることを、たくさん感じさせて頂ました。
その後 入院し、昨夕、医師と会うために廊下を歩いていると、信じられないような大きな夕陽が落ちてきて、辺り一面が オレンジ色に染まりました。 そしてその後 医師から、私のこの命が終わりに近いということを宣告されました。その瞬間 、私は これまでの人生で一度も味わったことのないような平安で心がいっぱいになりました。ババの臨在を、甘露のような甘い恩寵を、全身に感じました。このサムサラの世は一瞬のことです 。永遠のアートマである私たち 。それを私に教えてくださった 神の化身サイババ。自分は何と幸せな人間なのだろうと思いました 。このプロジェクトに心から感謝しております 。参加してくださった皆様 そして プロジェクトを行ってくださったチームの皆様、本当にありがとうございました。
このプロジェクトで、御名の定着度やパワーが強まったと感じます。皆さん、ありがとうございました。最後に、一言だけシェアしたいことがあります。
今の世の中、巷では、嘘と本当の情報が入り混じっています。どこの誰とも分からない人が、ババがこう言っていた、ということを、盲目的に信じるのではなく、自分の良心に必ず聴いて、納得できないことはすぐすぐ受け入れないでくださいね。
たったひとつのこと、「神とは何ですか?」ということを知りたくて、初めてインドに行った時に、ババは私たちのグループをインタビューに呼んでくださいました。そこで、この質問の答えだけは知りたくて、ババを見ながら心の中で、「What is God?(神って何ですか?)」と繰り返していたら、ババが私の前で止まって、上を向いて(目は合わせてくださいませんでした)、「God is inside of yourself.(神はあなたの中にいる。)If you keep saying, I am God, I am God, I am God, (もしあなたが、私は神、私は神、私は神、と言い続ければ、)you will become God.(あなたは神になる。)」と言ってくださいました。
神とは、あなたの中にいる良心のことです。嘘だらけの世の中で、本当のものを見分けられるのは、あなたの心の中におわす神、良心です。迷った時は、御名を唱えながら、心に聴いてください。
皆さんに、ババのご加護と恩寵がありますように。御名を唱える仲間は、会えなくてもサイファミリーという、私の大切な光の家族です。
皆さんの光に、ありがとうございます。
大阪:女性
この度はナ-マスマラナをスワミに捧げるプロジェクトを立てて下さり感謝申し上げます。気づいたら後1日でした!
皆様の体験やご感想ご意見がとても励みになりました。
1日2000回以上唱える事に不安はありましたが、何とか唱え続ける事ができそうです。正直いいますと0時過ぎて翌日になってしまい。ごめんなさいスワミと謝りながら唱えた日もあります。ナーマスマラナで、いつも、いつもスワミを身近に感じていたいと思いました。
8月16日から始まりましたが、17日の夕方、手のひらを上にして、瞑想していて、ナーマスマラナやガヤトリーマントラ等を唱えていた時、突然、その日からマントラのエネルギーやナーマスマラナのエネルギーが自分に注がれているのを感じるようになりました。唱えさせて頂くことで、エネルギーに包まれ守られているのだと気づかせて頂きました。ナーマスマラナで、とても穏やかな気持ちになり安らぎをおぼえます。
3ヶ月間、毎日素敵な御言葉や皆様の、体験談等をまとめて下さり有難うございました。この後も皆様とご一緒にナーマスマラナを続けていけたら幸せだと思っております(*^^*)
さてオーガニゼーション事務局の方には、唱える神の御名の、大変な数の集計をいただき、ありがとうございます。目標を上回る結果を許されたことに、サイババ様、オーガニゼーションの方々、そして参加されたサットサングの皆さんと、これを分かち合える幸せを、感謝申し上げます。
まさに、事務局の方のおっしゃる、
「神様に集中し、託していることで、この世の物事は神様が運んでくださっている。そんな気がしました。」が当てはまると、私は歓喜と感動で、胸がいっぱいです。
私は、本日のサイババ様の御言葉の、「世界の平和のために尽くしなさい」を忘れません。
そして昨夜、改めて配信されました、メッセージ・オブ・ザ・ロード第30話[最終回]を拝見させていただきました。
サブタイトルにもありますように、"サイのメッセージに沿って行動する"ように、精進させていただきます。
既に皆さんご覧になったのだとは存じますが、参考までに、以下に添付させていただきます。
https://youtube.com/watch?v=wnn1hBl_s-o&si=1XJccWG2I7EcePIH
明日の、シュリサティヤサイババ御降誕祭には、このプロジェクト目標達成の感謝と、自分自身や周りの人々に賜りました神の栄光と恩寵をお讃えさせていただくべく、臨ませていただきたいと願っております。
この99日間、サイババ様、オーガニゼーションの方々、参加者サットサングの皆さん、誠にお世話になり、ありがとうございました。
また、いつの日か、いつの世か、ご一緒させていただけることと信じ、神との合一、解脱を目標に、サイのメッセンジャーとなれるよう、精進させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
宗教も関係なく、また帰依者であるかどうかも関係なく、行われたこのプロジェクトはまさにババ様の御意志と感じました。宗教は1つ、それは愛の宗教、とよくババ様はおっしゃいます。キリスト教も仏教も、様々に枝別れして、宗教どおしの争いや戦争まで起きた歴史がありますが、ババ様よりどれが正しいなど、一言もおっしゃりません。神の目から見たら、兄弟げんかのようなものなのかなぁ?などとも感じました。山に登る道は多くあっても頂上は1つ、ということなのでしょうか。多くを考えさせていただいた、このプロジェクトに感謝いたします。
東京:女性
| 自身の未来につなげる一言
幸せの御名99プロジェクトは、時の流れに乗って
ここまで着いた訳ですが、御名の響きは決して止むことはないでしょう。永遠に響く言霊です。
そして、そこがゴールであるとともに新たな始まりでもあるのでしょう。
今、幸せにしていますか。
愛と喜びはそこにありますか。
平安に満ちていますか。
そうであれば、それはほんとうによかったです。
みんな幸せになりますように
みんな幸せになりますように
みんな幸せになりますように
良心は覚醒へとつながっています。もし私たちが覚醒状態に達すれば、世界に問題はなくなるでしょう。
世界の平和のために尽力しなさい。世界は休息(アット レスト、at rest)していますが、人間の心は不安(アンレスト、unrest)でいっぱいです。不安でいっぱいの心を平安で満たしなさい。すべては人間の行動しだいです。高潔な行いと言葉を通じて、世間に教えなさい。あなたのハートを神の御名でいっぱいにしなさい。
1993年5月24日
最後の一日になります。
私たちは99日間で唱える御名の数990万回を目標にしていました。
すべての集計ができました。最終日を終えると、私たちで唱えた数は、
11242044回になります。1124万2044回となり私たちはいつの間にか目標を達成していました。
神様に集中し、託していることで、この世の物事は神様が運んでくださっている。
そんな気がしました。
明日のメルマガが最後となります。
もし、一言ありましたら、お待ちしております。
御名を唱えるようになり、シンクロニシティ多く驚きです。近所の知人にパスポートを急ぐよう勧められてから、偶然またお会いしました。私、来週からダウラギリにトレッキングに行くのアンナプルナも見えると良いなあ。
何日間滞在するの訊ねると8日ぐらいです。旅費をお聞きすると50万円です。
ええー!山登らないのに8日間でトレッキング50万円は、すごいですね。昔はトレッキング24万円くらいだったでしょう。今は、旅費高騰しているのよ。お金をドブに捨てるようでしょうと仰いました。先輩の登山家は、
チャンスは、次ないと仰っていたこと告げると、そうよね行けるとき行った方が良いね。ありがとう、楽しんで行ってきます。これまで、サイババ様のご縁で何度かインドに行けて良かったと感謝でいっぱいになりました。
ホワイトフイールドに、初めて訪問させていただいたとき、サイババ様の御講和で、インドはヒマラヤがあり美しい国です。美しい国で神の化身や聖者がインドにしか現れないと仰っておられたこと思い出しました。それしか覚えていないです。
サイババ様を知る前、友人から地球に生まれてインドの大地を踏めない人々もいるのよ。
インドの大地を踏めることは、徳が高い良いようなこと仰られたこと思い出しました。
友人は9回目のインドで、バスに落石が当たり、助手席に乗っていた彼女だけ亡くなられました。大好きなインで、大変ショックでした。
あれからサイババ様の不思議なご縁で、奇跡的に何度もインドに行かせていただき感謝いたします。
ありがとうございました。
神奈川:女性
このプロジェクトもいよいよ終わりますね、最初は長いようにも思いましたが、終わるとなるともっと続けていただきたい気持ちになります。
今回のプロジェクトで、他の方々の取り組みを知り、大変参考と励みになりました。有り難うございました。
ババ様に手を引かれて20年、何故かこんな俳句?が浮かびました。
人生はとても不思議で素晴らしい やれ楽し やれ嬉し
皆様と共にこれからも精進できますように、スワミの蓮華の御足にお祈りいたします。
埼玉:女性
さて、本日のお便りの中の、
「以下の言葉はいくつか知っていたのですが、全体を通してみるとなるほどと感じます。この形で私の前に現れたのは、ナーマスマラナの恩寵かもしれません」として、サイババ様の「全託の祈り」についての御講話を、サイト添付して下さっていました。
私も、この全文を存じ上げませんでした。
これは大変な学びでした。
毎日学ばせていただきます。
霊性の道を歩む杖のように、心強く、有り難く存じます。
この方がいただかれた、ナーマスマラナの恩寵を、私達にまで分け与えて下さり、ありがとうございます。
神奈川:女性
| 自身の未来につなげる一言
御名を唱えます時、意識が内に有り、色々起こる出来事を感じていますと自然に答えが出て参ります。今まではバタバタしていましたが、未来の道は慌てずゆっくり進めそうです~
感謝します。
光陰矢の如しでスワミの御降誕があさってですが、皆さん様々な想いや体験をされていることがこのプロジェクトのおかげで知ることができ、離れて暮らしていても神様の御名で帰依者は繋がっていることがわかり心温まりました。このようにお金のかからないプロジェクトは、ネットをする誰もが参加でき、神の御名も唱える機会が普段より増えて物理的にも、霊的にもとても良い企画だと思います。
オ−ム シュリ バガヴァン シュリ― サティア サイバ−バ−ヤ ナマハ
というのが自分にはもっとも恩寵を感じられることも理解でき感謝です。
プロジェクトに投稿された内容から「呼吸を眉間に集中し…」の一節を思い出して、バガヴァッド ギーターを無我夢中で読み返したことがあります。
ババ様が仰る意味を理解できたこと、集中力をより一層高めることができて、とても有意義な時間になりました。以前読んだ時とは比べ物にならないほど豊かな読後感でした。
呼吸を眉間に集中するようになって神の御名、御姿、光に守られているという大きな安心感を得られています。少しでも全託に近づきたいところです。
変容という言葉は自分にはあまり馴染みのない響きですが、その言葉を使ってもいいかもと感じた今回のプロジェクトでした。
改めまして企画運営に携わりましたオーガニゼーション会員の方々と投稿された方々に深く感謝の意を申し上げます。ありがとうございました。3ヶ月間お疲れ様でした。
山梨:女性
御名の御力に心からありがとうございます。
リンガム水は日本サイババ研究会の渡部英機先生のHPで本を購入しますと、送料負担だけで購入できます。その際、メールですと先生と連絡が取れませんので、お電話がよろしいと思います。ヴィブーテイの方は申し訳ございませんがわかりかねます。
今のプロジェクトの御名を唱え、ババ様や他の神様のグッズや本CDを購入するとリンガム水の効果も大きいようです。ゴマが目に良い、とのババ様の本のお言葉で視力も良くなり、義父の前立腺癌も治り、筋肉痛にも治り、精神的にもババ様からの御姿やお声で随分御守りいただけるようになりました。
皆様方に更なるババ様のご加護があられますことを祈念いたします。
新潟:女性
「リンガム水と聖なる灰はどこで購入できるのでしょうか?」
というお便りを拝見しました。そうした神聖なるものは売ってはいないです。(営利を得る事はババ様から禁じられています)
ヴィヴ―ティ(聖なる灰)は、返信用切手を同封してサイセンターに依頼すれば少量ですが無料で送ってもらえます。
大量にほしい時はインドのサイババ様アシュラムに行けば、非常に安い手間賃位の価格で売っています。
リンガム水は、私は知人からもらい、実際に申し込んだ事はないのですが、日本サイババ研究会の本を買うと無料でもらえるようです。
リンガム水は最初だけもらえれば、後はいくらでも自分で増やしていけます。
東京:女性
| 自身の未来につなげる一言
御名を唱えることは、心という地層を採掘しているように思いました。
私はエゴとカルマの厚い層があり、採掘がなかなか進まないと感じます。
御名を唱えていて、ふいに悲しみが出てくる時があります。
ああ、今は悲しみの層にあたっているのだなと思うようになりました。
皆さんに比べたら、とても時間がかかると覚悟しています。
いつか、至福の層にたどりつけたらと願って、これからも続けていきます。
未来の自分が、御名ともっと近づいていることを目指します。
企画し運営してくださった方々、体験談をよせてくださった方々、これまで続ける勇気をいただき、本当にありがとうございました。
| 自身の未来につなげる一言
御名もマントラも、一生唱え続けること!それが、自身を救い全てを救う道になると思います。一意専心、忘我の境地、神への融合、自分の未来は分かりませんが、それが望みです。プロジェクトに参加できたことに、心から感謝です。ありがとうございます。
| 自身の未来につなげる一言
毎日の配信を頂き、誠にありがとうございました。
今思うと御名は光であり、愛であり、、、
そしてババ様が「私は私。私(アートマ)は意志であり、全ての御名である」と以前にお話された内容を思い出します。様々な人や物は神の特質を表現し、存在しているのかもしれません。そのようにして観ると、見るもの全て神になります。
ババ様の勧めるサーダナはどれも真理へ導くものになっているような気がいたします。
御名を唱えても、バジャンを歌ったとしてもセヴァをしたとしても得られて保守していけるのは至福でして、その一滴が大海の甘さを教えてくださっているように思います。
ありがとうございました。
神戸
| 自身の未来につなげる一言
数日間、あれやこれやと考えたのですが、自分の未来は何も思い浮かびませんでした。
それどころじゃないんです。24時間ハッピーを目指しているので、やらなきゃいけないこと、学ばなければならないことが、山積みです。呼吸ひとつとっても、そこにある秘密など何も知らないし、実行できていません。
先日の話ですが、車からの帰宅途中にふと過去の自分を思い出して「あの時はあんな対応したけど、今は違うんだから随分と成長したなぁ」と思っていました。
これで良いんだって。成長することが、神への礼拝なんだって。私は仕事を通して神への礼拝ができているんだって思いました。自分に甘いかも知れませんけど。
皆さまが真摯に御名を唱えているので、私も勇気づけられました。じゃないと、世間では「私しかやっていませんよね?」という状況になってしまいますから。
これからも続けていきます。
ありがとうございました。
リンガム水と聖なる灰はどこで購入できるのでしょうか?
この事業に関与していくつかのサイババの言葉を新たに知ることができました。
もしかしたらすでに読んでいたり知っていたことかもしれませんが、より深く学べたことが多いようです。
以下の言葉はいくつか知っていたのですが、全体を通してみるとなるほどと感じます。
この形で私の前に現れたのはナーマスマラの恩寵かもしれません。
【全託の祈り】
「なぜ心を騒がすのですか? あなたのすべての問題を、私に解決させなさい。それらの問題について考えるのは、この私です。私がひたすら待っているのは、あなたが私に全託することだけです。そうすれば、今後あなたは、どんなことに関してもまったく心配する必要がなくなります。あなたのいっさいの恐れや落胆に別れを告げなさい。...」
(全託とは、全託の方法について、ババの御言葉は以下に続きます)
https://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/20121/topic.html
千葉:男性
| 自身の未来につなげる一言
私はずっと、いつかは変われるだろう、少しでも前進したい、と思いながらも変わり映えのない自分や毎日に半ば諦めの気持ちで過ごしていました。
最近、最後の一撃で壊す事ができたのは今まで何回も叩いてきたから…?というような御言葉を思い出しました。
最後の一撃が効いたのも諦めないで叩き続けた結果であり、叩き続けなければ最後の一撃もないのだという事を思い返し、少しだけ希望が見えた気がします。
このプロジェクトに参加でき、たくさんの学びをいただき、有り難く感謝致します。
実は私は随分前から神様のマントラ瞑想を実践していました。ですが、何か進展が無いように思っていました。
でも聖なる言葉にハッとさせられ気付きがありました。そしてその言葉の意味を信じて瞑想するようにしたら多幸感を感じることが増えてきました。聖なる言葉や書物を読むこと、そして今回皆さまの感想などとても参考になりました。このような機会に参加させていただきまして、とても感謝しています。本当にありがとうございます。
さて、本日のサイババ様の御言葉と、事務局の方からのメッセージを有り難く、感動をいただきました。
すると、私の勝手なイメージが浮かびました。
サイババ様の御言葉の一節、
「人が乗っている自転車の2つのタイヤのうち、ブラフマンのタイヤの空気が抜けているのです。そのタイヤに神の御名を入れて膨らませなければなりません。」と、事務局の方の、
「見ず知らずの私たちはひとつでした。」のメッセージが融合し、
私たち幸せへの御名99参加者の皆さんと一つになって、世界中を駆け巡れる程の大きな自転車の、ブラフマンのタイヤの空気を、神の御名を入れて膨らませることが出来る!そして、その自転車に世界中の全員が乗って、サイババ様の蓮華の御足へ辿り着けたら何て素晴らしいことなのだろう!
サイババ様がきっと喜んで下さる!と、歓喜と共に希望が湧きました。
私はこのイメージで、今後ナーマスマラナを継続させていただいたいと決意致しました。
ありがとうございました。
神奈川:女性
| 自身の未来につなげる一言
ナーマスマラは自我を取り除き真我(アートマ)を磨き出す手法だと思いました。
本当に素晴らしい事を教えて頂きまして誠にありがとうございました。
皆様方が神の国に行かれます事をお祈り致しております。
神奈川:男性
| 自身の未来につなげる一言
スワミを知った当初、私にとってのスワミは厳しい父というイメージでした。自信が無く自己肯定感も持てなかったからかも知れません。
そんな苦しい日々の中でナーマスマラナムを熱心にしていた時、突然に経験したことのない感覚に満たされました。
それが初めて知った 御名の甘さ 神の甘さ でした。そしてスワミに導かれて少しずつ自分を愛することを知りました。
今、目を閉じるとスワミと私は一つです。
プロジェクトが終わっても、皆様と共にナマスマラナムをして行ければ嬉しいです。
女性
| 自身の未来につなげる一言
幸せへの御名99を発信してくれているスタッフの皆さんや、メールを見て、一緒に御名を唱えてくれている皆さん、お顔は見えませんが、皆さんを通して、皆さんの中にいるババからたくさんの力をいただいた気がします。一緒に御名を唱えて、この地上を浄化してくれてありがとう。御名は心の中で、誰にも気付かれずに唱えることもできるので、御名を唱えることには、何の制限も制約もありません。これからも、ずっと一緒に唱え続けて、未来へ魔法をかけましょう。そして、ひとつの光になりましょう。
大阪:女性
世界は今、多すぎる知識に苦しんでいます。知識の増加に比べて、徳は増えていません。これが、人間社会の悲惨なありさまの根本原因です。人が乗っている自転車の2つのタイヤのうち、ブラフマンのタイヤの空気が抜けているのです。そのタイヤに神の御名を入れて膨らませなければなりません。空気の抜けたタイヤでは遠くに行くことはできません。
ですから、サットサンガ(神聖な会、聖なる交際)を始めなさい。善い活動をしていきなさい。そして、そこから喜びを引き出しなさい。これがあなた方への今日の私からの提言です。
1961年4月30日
あと3日になりました。
このプロジェクトは、サイオーガニゼーションメンバーであるないに関わらず、サイババの信奉者であるないに関わらず、宗教に関わらず、信仰心の有無に関わらず、様々な人たちである、「私たち」で行われてきました。
私たちの絆は「神様の御名を唱え、内なる神との対話を通し、内なる変容へと向かう」という目的だけだったのですが、見ず知らずの私たちはひとつでした。
最後に一言、お待ちしております。
神様に見ていただける、ここに、一言、いかがですか。
「自身の未来につなげる一言」でも、感想でも、今の想いでも、お待ちしております。
御名の御力に心からありがとうございます。
買い物する時、いつもガヤトリマントラを流しながら、ババ様のトートバックとたためて便利なエコバックのお陰で、とても楽しく過ごしています。日本サイババ研究会の本を買うと送料負担だけでいただけるリンガム水ですが、我が家ではお料理、薬を飲む時と全てにおいて使わせていただいております。薬を最近トートバックにいれたのですが、そうしたしたら強すぎた睡眠薬で飲むと朝フラフラしたのですが、それがなくなり、睡眠薬でも夜寝れなくなってたのがババ様もされた昼寝がまたできるようになりました。リンガム水ですが飲む他に筋肉痛、心臓の痛みと患部に3回から8回すりこみますと、朝も痛みがかなり和らぐそうです。皆様方が祈ってらっしゃる、いろいろなババ様の御守りをいただいている、という大きな後ろ盾をいただき、日々感謝ばかりです。心からありがとうございます。
新潟:女性
10月 体調が悪くなり整体院に行くと「ずいぶんと固くなってますね」
固く…最近、心もそうなっていたのだと 落ち着いて感じるようになりました。
「こうしなければならない。こうであるべき。」と自分で勝手に決めつけ、暗く、固くなっていました。
御名を唱える一回一回や、皆様のお便り一通一通が神の点滴の一滴のだったような気がします。
映画「サウンド オブ ミュージック」の7人の子供の海軍のお父さんが、しかめ面から愛情深く変ったように、自分もだいぶ柔らかくなりました。これからは、何でももっと面白がって 全ての奥に神の動きを見るようにします。
ありがとうございました。
大阪:女性
神の御名、無限の可能性
日本人は古来より武道や茶道等の道に於いてもこつこつと同じことを繰り返して訓練して己を磨き。
自己を向上させたり、その向こう側に未来の自分や大いなる物を思い、淡々と繰り返す事が出来るし、向いているのだとも思います。
サイババ様は日本や何処にいても真剣に神を思う人はバーラタの人インド人であると言うような事をおっしゃっていたと思いました。
その御言葉を聞いて胸が熱くなりました。
有り難うございます。
さて今朝、愛犬とのお散歩からの学びを報告させていただきます。
昨日から、日本列島に寒波到来、各地積雪の模様をニュースでも拝見しました。
我が家周辺は今朝からかなりの強風が吹き付け、銀杏の葉や他の紅葉の多くも風に舞っていました。
このような状況に出くわすと、去年迄の私は、愛犬が怖がりなので、
「神様、この子は怖がりなので、少し風を鎮めて下さいませんか?」などと、祈ってしまうのでしたが、今年は違いが判然としていました。
「大雪の降る地方で頑張っている人に申し訳ない。強風くらいで音を上げてはいけないな。
環境は人間の行為によって決定づけられる、とサイババ様から習っているんだ。心と言葉と行いを善きものにしなくては。宇宙のすべては神様なのだ。」と思って、味わいながら、小走りしたり、歩いたりして帰宅しました。
また一つ、私の中の変容をいただけました。
ありがとうございました。
神奈川:女性
鉄の棒は水に沈みますが、鉄を打ち伸ばして空っぽの器にすれば、その器はぷかぷかと楽しげに浮かび、多少の重さがあるものも器の中に入れることさえできるようになります。それと同じく、人間の心も簡単に感覚の海に沈んでしまうので、神の御名というハンマーであなたの心を打ち伸ばして空っぽにしなさい。そうすれば、あなたの心は困難の海の上に無事に浮かんでくるでしょう。音楽がもたらしてくれる、震えるような本当の感動を知らない、他人の歌を歌うレコードのようであってはなりません。あなた自身の、神の栄光と恩寵の体験から歌いなさい。
1961年7月27日
このお便りを読ませていただき、本当にお一人お一人、人それぞれ霊性修行は多様だなと思いました。
でも、目指す所は同じなので体験談には、勇気をいただきました。
このプロジェクトのおかげで日常的に御名を唱える事を習慣化できた事を感謝致します。
御名は宇宙の波動、神の波動、スワミの波動!
御名の波動で皆様と繋がっている事を感謝します。
そして、このプロジェクトを運営してくださったスワミに、センター事務局の方々に感謝いたします。
| 俳句
この世の夢いつ覚めるのか冬うらら
俳句誌「抜粋」
ひらめきは神の囁き風光る
さて、本日もサイババ様の御言葉を有り難くいただいた上に、たくさんの方々からのお便りにて、貴重な学びをさせていただきました。
自分自身では、気付けなかったこと、体験出来なかったこと、困難を乗り越えられたお話、そのどれもが、今後も霊性の道を歩ませていただきたいと願う私の、大切な宝物です。
サイババ様は、プロジェクト終了後の、その先の未来へ、
サットサングの皆さんお一人おひとりと、私にも、確実に、準備を整えてくださっていると、ひしひしと感じ入り、胸が熱くなりました。
ありがとうございました。
神奈川:女性
このプロジェクトに参加させていただいてから、起床時、就寝時に自然と御名を思うようになりました。また先日バジャンを歌っている時に、自然と嬉しい気持ちが湧いてきて涙が出ました。残りの人生を神様を思いながら、すべての行為を捧げることができるように過ごして行きたいと思います。
最期の瞬間に神の御名を口にするのは容易にできることではありません。それには、深く根ざした信心に基づいた、何年にもわたる実践が必要です。それには、憎しみや悪意を持たない、強い人格が必要です。なぜなら、神への想いは慢心と貪欲の風土では生き長らえることができないからです。
さらに、いつが最後の瞬間かなど、あなたにどうやってわかりますか? 死の神ヤマ(閻魔(えんま)大王)は、あなたを捕まえに来ることを通知しません。ヤマは、カメラを抱えてスナップ写真を撮っている人のようなものです。カメラマンは、「用意はいいですか? シャッターを押しますよ」などと知らせはしません。もしあなたの肖像写真を天国の壁に掛けたかったら、その写真は魅力的なものでなければなりません。あなたの立ち方、ポーズ、笑顔、すべてがよいものでなければなりません。そうではありませんか? ですから、昼夜いつ何時(なんどき)でも神の御名が口元にあり、神の栄光が心に広がっていて、いつシャッターを押されてもいいようにしていることが最善です。そうすれば、いつ撮られても、あなたの写真はよいものとなるでしょう。
1960年11月23日
| 自身の未来につなげる一言
御言葉を唱える(お捧げする)ことで、自分自身のハート(一番深いところ)により深くつなげる、開く、全世界に無限の愛の光を。
ワン フォー オール
オール フォー ワン
ワンネスですね。
ありがとうございます。
| 自身の未来につなげる一言
私は、プロジェクト終了後の未来に向けて、
「神の御名と一緒なら、いつの日か、いつの世か、神との合一、解脱が叶うはず。」
という標語をサットサングの皆さんと、自分自身にも贈らせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
神奈川:女性
| 未だ何も変容を感じておりません。
努力や周囲の良い影響で、ごく自然な形で「変容していく時」には、自分本人は自覚しにくい、と何度も読んだり聞いたりしました。
主体であるその方ご本人も、同時に変わってゆくからです。周りの人からすると感じが違ってきた…と感じられているかもしれません。
神の導きで、とても自然な変容なのではと、存じます。
御名の御力に心から感謝申し上げます。
先日御名を唱えた場合の効果は、との御質問がありました。ありがとう、の御名を5万回唱えると、奇跡がおき、癌も治る、と言われてます。
ババ様はヴィブーテイをたくさん塗ると、また日本サイババ研究会のリンガム水、本を注文すると送料負担でもらえます、を飲むと万病が治る、と言われてます。
私の義父も前立腺癌だったのですが、ヴィブーテイとリンガム水を1回つけ、本人にありがとう、唱えていただこう、と思ったのですが無理でした。私はババ様の本と他の神様の本もかなりあり、グッズもかなりあります。その御蔭で御名を5万回唱えなくとも病気の本人が唱えなくとも、なんと前立腺癌の数値が正常になり、癌が治ってしまいました。リンガム水で主人の太ももの痛みが治ったり、痛みが和らいだり、心臓の痛みも和らぎました。回数が少なくとも御名の力は絶大です。
新潟:女性
プロジェクトの開始から丸3ヶ月が過ぎました。あれほど定着出来なくて悩んでいたナーマスマラナが、今では神の御名が身体の内側のみならず、空気中を漂っているように思えるまでになりました。密度はチラリホラリぐらいなので、まだまだ伸びしろありそうです (笑
神の御名を唱えること以上の装飾品は存在しない。(テルグ語の詩/抜粋)
御講話「愛こそは私の唯一の財産です」(2000年11月23日)
お守り、信仰の象徴としての最上のアクセサリーが神の御名なのですね。今回のプロジェクトでそれを実感することができたのが大きな収穫です。
神に感謝します。皆様が神です。
日々の仕事や家事に追われる中、プロジェクトを企画運営してくださったオーガニゼーション会員の方々、他では聞き得ない貴重な霊的体験や胸の内などを明かしてくださった投稿者の方々に深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。お疲れ様でした。
山梨:女性
さて、私は毎日、皆さんのお便りを、一つひとつ、お一人おひとりを勝手に想像しながら学ばせていただいて参りました。
このプロジェクトにご一緒させていただけたサットサングの皆さんとは、直接お会いすることはなくとも、宇宙には神様しかおられない中でも、魂同士が強い繋がりのある方々に違いない、とこれまた勝手に思い込んでおります。
今後も、神様との合一、解脱を目指す中で、毎日ナーマスマラナやバジャンを実践する他にも、様々な場面でこのプロジェクトでいただきましたサイババ様の御言葉と皆さんのお便りを、何度でも思い出して、霊性の道を歩んで参りたい、と決意致しております。
私は、サイババ様、オーガニゼーションの事務局の方々、サットサングの皆さんに、この素晴らしい機会をいただきましたことを、感謝申し上げます。
永遠に忘れないよう、魂に刻印するよう、自分自身に言い聞かせかました。
ありがとうございました。
神奈川:女性
左目の調子が悪く眼科に行ったところ、脳梗塞の既往症が有るので大病院を紹介され目の瞳孔開くので車の運転は駄目と言われ、バス、地下鉄、歩きで行く事に成り、困ってしまいました。公共交通機関は分かりません。が、タクシーと言う手段を取り、予約時間に間に合わせていました、地下鉄の駅から歩いて10分と聞き、何度も聞きながら、狭窄症の足をひきずりながら、三十分掛かり着きました帰りも、その通り息も絶え絶えに成りながら、もう駄目だと思った時に、自然に /サイラム、スワミ、感謝/ と普段、歩く時に唱えている言葉が出て、どんどん痛みが引き、まるで他人の足の様に軽く、丸で地に足が着いていない様に感じ、あっという間に地下鉄駅に着きました。
なんと素晴らしき神の御名、改めてスワミに 感謝と同事に普段から唱える事の大切さを 教えて頂きました
宮城:女性
| 自身の未来につなげる一言
先日バジャンを歌いながら運転中のこと、見える人々が神の現れと感じられて、いつでも神と出会い包まれていたのだと感じる時間があり涙があふれました。少しして心が動き自分の中にある毒を感じました。この世での役を演じるエゴというものかも知れません。神を信じ、自分を諦めることなく命の尽きるまで愛の道具として使っていただけますように。
| 自身の未来につなげる一言
幸せへの御名・ビフォーアフター、確実に何かが変わった・・・内なる何かが。
ここからの未来の自分に向けてエール。
落ち着いて、自信を持って、愛の道を進め! 自らの内なる神の声と共に。
礼拝の方法がどのようなものであっても、御名や御姿がどのようなものであっても、重要なのは信心です。信心は、より高次のものへと向かう生命とエネルギーをもたらします。
1961年12月23日
この度は大変重要な「ナーマスマラナ」を教えて頂きまして誠にありがとうございました。そして毎日大切な御言葉を選んで頂きまして大変勉強になりました。また、帰依者の方々からの体験談やご感想もとても勉強になりました。
私は唱える回数が少ないせいか、未だ何も変容を感じておりません。何回位、又はどのくらいの時間を唱えれば良いのでしょうか?ご指導頂けましたら幸いです。
とにかくこんな素晴らしい勉強会を開催して頂きまして誠にありがとうございました。
プロジェクトゴールまで1週間前となりましたね。
一言ですが、送らせていただきます。
今まで気づかなかった様々な思いが現れてきたとき、神の御名を唱えると心が無になり平安となります。
そして新しい自分となり、スワミに一歩近づくことができ感謝の日々です。
よろしくお願いいたします。
北海道
大阪の方のお便りにあった
「わ~た~し~、神?ちょっと、神?たぶん、神。きっと、神。
いつでも神と、一緒なの~」(愛の水中花より)
いいですね~!笑いと共に、深くインプットできました。
こんな風に音楽と共に身近に神を感じられたら最高です。
音楽の力、神は音楽といわれるのも分かる気がしました。
東京:女性
以前も報告させていただきました御名を唱えることがほんとうにほんとうに難しい自称信者です。相変わらず仕事をしていても家事をしていてもすぐに唱えることを忘れてしまいます。
しかしながら、ハッと気づいて御名を再び唱えることの繰り返しをしているなかで、自分のペースではありますが一歩ずつ前進しているのかな、と認識できるようになりました。また、些細なことに感謝できる自分を発見し嬉しくなることもあります。
まだまだ狭い了見でネガティブな気持ちが沸いたり、人に対して優しくなれなかったりと課題満載ですが、御名を唱えていけばきっとよくなる!という確信があります。
私にとっては始まったばかりですが、今回、思い切ってこのプロジェクトに参加してほんとうに良かったと思います。
最終日の23日は長男の結婚式です。私の家族は全くババ様のことを知りません。30年余り自分の胸だけに秘めてきました。なので彼がこの日がババ様の御降誕祭であるとは知る由もなく、敢えてこの日であることに感無量です。きっとババ様からのメッセージであると勝手に解釈しています。
最後になりましたが、お世話をしてくださった皆さまほんとうにありがとうございました。これからも精進していきたいと思います。
愛知
さて、本日のサイババ様の御言葉を有り難くいただきました。
私は、「皆に友好的で、人助けのできる、愛に満ちた人でいなさい。いつも神の御名を唱えていなさい。決して勇気と歓喜をゆるめてはなりません。」
の一節を、今日もナーマスマラナメモに追記して、学ばせていただき、継続させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
| ゴ―ルの向こうの私へのメッセージ
「1に御名、2に御名、34も御名で5にも御名」
まず、超初心者ながら皆様の後を追いながら何とか完走(予定)導いて下さった大いなる力に感謝致します。
この素晴らしいプロジェクトに参加させて頂いたお陰で、御名を唱える事が習慣と成りました。これからも継続し、心(ハ―ト)の中にいらっしゃる神様を常に意識し、神様を心の拠り所として、まっすぐにただひたすらに霊性修行の道に邁進しなさい、と自分に伝えたいです。
大きな転機と成りました。
有り難うございました。
大阪:女性
あなた方が数多くの過去生で積んだ功徳によって勝ち得たこの希有なチャンスを、最大限に活用できるよう、常に注意深くありなさい。皆に友好的で、人助けのできる、愛に満ちた人でいなさい。いつも神の御名を唱えていなさい。決して勇気と歓喜をゆるめてはなりません。
1961年7月4日
毎日神の御名を唱えておりましたら…「自分の本質も、神なのではないか」とふと思う瞬間が ございます。なので、また替え歌ができました。
「わ~た~し~、神?ちょっと、神?たぶん、神。きっと、神。
いつでも神と、一緒なの~」(愛の水中花より)
大阪:女性
さて、本日のお便りにて、
「与えられた仕事は神への礼拝」と習いました。
毎日御名を唱えることと合わせて、こちらを心に留め置き、自分自身に与えられたすべてのことを、勤勉に、誠実に、させていただきたいと思います。
ありがとうございました。
神奈川:女性
もうすぐプロジェクトも終了ですね。皆さまと共に歩んでこれた日々に感謝でいっぱいです。ナーマスマラナで神の愛を感じる日々は自分の中にある既成概念を一旦破壊し、再構築していく期間だったように思います。
今は神と共に在ることに、この上ない幸せを感じています。
亡くなった愛犬が私の愛する神のそばで頑張って使命を果たしていると思うと、悲しみよりも愛しさが込み上げます。
ババ様に出逢えたきっかけも、今回のプロジェクトを見つけたタイミングも、全てが導きだったんだ思います。世の中には科学で説明のつかないことがたくさんあるのだと知りました。
これからもナーマスマラナを続けながら日常生活では取捨選択をし、自己の霊性を高めていきたいと思います。
岡山:女性
おかげさまで、毎日毎日いつも御名と共にあることが普通になりました。
変化としては、回数は関係なく意識が常に御名と一緒にいたがるようになり、御名から離れがたく、目の前のことに集中して忘れても、ハッとしてまたすぐ御名に舞戻って安心するを繰り返しています。また、外側で起こったことに起因して心の中で何が起こったか、容易に気づくようになりました。そしてそちらに囚われずに避難するように御名に落ち着くようになりました。
とても平和です。
このプロジェクトが終わっても、生涯続けていきたいと思います。みなさんと一緒に、素晴らしい恩寵をいただくことができました。ありがとうございます。
宮城:女性
御名に心を定め、御名の甘さに浸りなさい。
御名を吸い、あなたの舌で転がして、御名のエキスを味わい、御名の壮大さを熟考し、御名をあなたの一部とし、霊的な喜びの中でますます強くなりなさい。
それが私を喜ばせることです。
1960年12月28日
さて、本日のサイババ様の御言葉を有り難くいただきました。
「この世のあらゆる損失や苦悩、心配事を、ただの一時的で過ぎ行くものとして受け止めなさい。そのような苦悩を克服するためだけに、唱名や瞑想を行うのだと悟りなさい。」の一節に、私は心が震えました。
まさに勇往邁進の思いで精進させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
今日のみ言葉 「苦悩を克服するために 唱名や瞑想をする」は、心に沁みました。
今年の5月 定期健診で不都合が見つかり 小さな外科手術を受けました。
退院して自宅にいると、どんどん落ち込みがひどくなり、センター活動でのzoomで声が出にくくなりました。
思いの外こたえたようで、いつも朝から晩までスワミの名を呼びながら「助けて~」とお願いしていたら、なんとなく 今週ぐらいから上がってきました。評判のいい、整体院にいってます。
プロジェクト終了後の自分へ… 毎日、元気にヴェーダの練習をしてくださいね。
大阪:女性
神様に会いたいです。神様に会いたいと思う時間だけが増えていきます。
与えられた仕事は神への礼拝だそうです。休日より仕事をしている時間のほうが長いので、仕事を通して礼拝をできるように努力をしていきます。
どうすれば神様に会えるのでしょうか?会いたいです。
千葉:女性
この世のあらゆる損失や苦悩、心配事を、ただの一時的で過行くものとして受け止めなさい。そのような苦悩を克服するためだけに、唱名や瞑想を行うのだと悟りなさい。霊性修行者は、あれもこれも一緒くたにせず、二つを別々に分けておくべきです。損失、苦悩、心配事は外的であり、世俗に属している一方で、唱名や瞑想は内的であり、神への愛という領域に属しているということを、霊性修行者は理解しなくてはなりません。
書籍「愛の流れ:プレーマ・ヴァーヒニー」P.159
今日も送信ありがとうございます。
今日の御言葉は非常に感銘深くおもいました。
同じババの言葉でも叱責される言葉と、力づけてくださる言葉共に重要ですし、ともに真実だと思いますが。
サーダナを実際に実行して途中である場合、横であるいは私の中で共に歩むことを実感できるのはありがたいと思います。
かなりサーダナを重ねている人には、より厳しい言葉も必用ですが、それよりもサーダナを続ける勇気が必要な場合が私のようなものには多いようです。ただし、より高い目標を呈示されるために叱責を受けるのは信者としてはありがたいと思うのですが。
千葉:男性
御名を唱えビブティーが増えていることに気がつき嬉しくもあり悩みました。
夏、筋肉を痛めビヴティーの小箱を開けて、えっ増えていると思いました。我が家は絶対ありえないと思い小スプーンで平にしました。その後、8月25日腕を痛めビヴティーの小箱を開けると、えっ!増えてる。敬虔な帰依者とは違う我が家に絶対ありえない。平にして毎日、観察すると小さな粒粒がコロコロ増えています。ヴィブティーが現れる家は、エリート敬虔な立派な家の帰依者と思っています。
平にし写真を撮り比べました。
粒粒コロコロ増えても信じられず、ティッシュで平にし写真を撮りました。お祈りの度にヴィブティーが気になり喜んだり怖がり苦悩し半ばノイローゼ状態になりました。娘達も気にする様子なく、日本は灰を神聖化する風習がないからと思います。忙しい仕事帰りの主人に聞いても、分からないだけでした。最近は増えてると話します。小さなジップロップ2袋しまい忘れ、最近2袋出て娘達にあげようと小箱に入れ、サイババ様の写真の前に供え祈っています。小袋のヴィブティーも粒粒が増えているようです。灰が増える、非科学的と思う日もありました。
今年は、シヴァリンガムの顕現もあり、半信半疑ながら非科学的なこともあると思うようになりました。レディースの帰依者に話すと貴女の体を治すためかもねと話されました。
自分は特別とは思わないけれど、子供の頃から災難試練続きです。大地震、授業中の火事、中国で深夜の雪崩、冬山の遭難、他多数その都度、驚き恐怖でした。不思議なことに毎回無事です。試練の人生で、ヴィブティーが現れているかもしれないと思うようになりました。神は偏在と知らせておられると思うようになりました未来には、物資化は普通になり、テレパシーコミュニティケーションや透視も可能になり愛と光と調和に満ちた平和な世界になるのではと思うようになりました。
神の慈愛は、永遠です。
神奈川:女性
| 小さな小さな変容
小さな変容ですが、この一週間で驚くことが2つありました。
ひとつは、30年以上会っていないアイルランドの友人から突然連絡があり、来年夫婦で大阪に来るとのことでした。
もうひとつは、10年くらい会ったり話したりしていなかった姉と偶然電話で話せたことです。
今日は、何だかエネルギーの流れが良くなっている感じがします。空気が軽やかです。
大阪:女性
さて、事務局の方からのお話、
「神の御名を唱えるには、神の恩寵と御意志がなければ唱えることができません。今、私たちはそれを現実に得ているから、御名を唱えることができています」と習いました。
私は、息子が将来へと、
新たな出発をした後、ここ数日で、心身共に重く苦しい感覚を覚えておりました。
とても不思議なのですが、
今朝、ストレッチとヨガを始めるやいなや、気付きをいただきました。
この体験は、何の役にも立てなかった私は、母として、
息子の追体験をしているんだな。そして、これを五官の感覚を制御して乗り越えることが出来るか?の、神様からのテストなんだな、と自分自身の変容を神様から求められている、と理解出来ました。
すぐに取り組み始めました。
いつになるかは全くわかりませんが、神様から、このテストに合格出来るように努めます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
神の御名に取り組んだ結果、たとえ解脱(ムクティ)に到達することが直接実現できなかったとしても、その体験を得た人々には、間違いなく確実に、四つの成果がもたらされるでしょう。
1.偉大な魂の持ち主との交流
2.真理
3.満足
4.感覚の制御
これらのうち、どの門を通っても、世帯主であろうと、隠遁者であろうと、その他の階級に属していようとも、必ずや神のもとにたどり着くことができます。これは確実です。
書籍「愛の流れ:プレーマ・ヴァーヒニー」P.149
みんなと過ごしたプロジェクトも残すところ9日となりました。
神の御名を唱えるには、神の恩寵と御意思がなければ唱えることができません。
今、私たちはそれを現実に得ているから、御名を唱えることができています。
その神の愛の中で過ごした90日。
その日々の中で、心地よい変容やちょっと苦しい変容、まだ気が付かない変容があるかと思います。
なぜなら、神の御名のもとでは変容を避けることができないからです。
そんな自分の変容を探してみませんか。
多くの場合、変容を見つけるのに苦労するかもしれません。
霊性修行では自分の変容を見つけるのが得意になると、進み方に迷いがなくなります。
小さな小さな変容の奥には、大きな変容が起きていることもあるかもしれません。
そんな小さな変容をお寄せください。
それを意識したとき何か起きるかも、しれません。
さて、本日のお便りにありました、アカンダバジャンに参加された方の、サイババ様からいただかれたおみくじ、
『常にすべての本質的実在のアートマンを憶念せよ』を、お教えいただきありがとうございます。
勝手に参考にさせていただき、申し訳ありませんが、
是非、私も実践に努めたいと思います。
ありがとうございました。
神奈川:女性
名前は神と結び付くことによって力を得ます。一例をあげましょう。家にネズミが入ってくると、猫を連れてきてネズミを退治するか、ネズミ捕りを仕掛けます。ところが、ネズミがガナパティ神〔聖天(ガネーシャ)の別名〕の乗り物(ヴァーハナ)として描かれている場合には、ネズミは崇拝に値するものとなります。また、ヘビがいるのを見たら、私たちはヘビを殺すことに最大限の努力を払います。ところが、イーシュワラ〔シヴァ神の別名〕の首に巻き付いているヘビは、敬意を受け、崇拝されます。道端の小石には誰も注意を払いません。ところが、その石で神の像が彫られれば、その石は寺院に安置され皆に崇拝されます。これが神との『接触(サムパルカ)』の効力であり、それには想像を絶する力がついてくるのです。このようにして、神の御名は人を霊性の道へと導く力を獲得するのです。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.37
さて、本日のサイババ様の御言葉を有り難くいただきました。
「神を黙想することが心(マインド)にとっての食事」、
「お腹を満たして心(マインド)を飢えさせるのは馬車を飾りつけて心(マインド)を飢えさせるのと同様」と習いました。
心と身体の食事は、きちんととって、神様に一歩一歩近付く努力を忘れません。
ありがとうございました。
神奈川:女性
アカンダバジャンに参加しました。みんなの幸せは、神様にしかできない、とみんなが期待していたと思います。始まって間もなく、神様が宇宙の果てにいらして、ちょっと小さい私がバジャンで手を叩いていました。そして、私は、神様に、「いま、私は、こんなところで、こんなことをしているよ。」と、報告していました。神様から、遠く離れていたので、(ご挨拶できた。)と思いました。最後、おみくじでは、『常にすべての本質的実在のアートマンを憶念せよ』この『すべて』は、命の無い物質も含むとのことで、ナマスマラナと合わせて、トライしてみたいと思います。
プロジェクトも残すところ10日少しとなりました。
自分で設定した回数に満たない日もありましたが、
東京センターのアカンダバジャンでたくさんの御名を歌ったので、
プラ転したにちがいありません。😅
ナーマサンキールタンは楽しい修行です。
でも、口で御名を歌っていても、
心が別のところに行ってしまうことがたびたびあり、
それが私の課題の一つです。
とはいえ、
邪悪な言葉に満ちた東京の大気が、
みんなで御名を歌ったことで清められたであろうことが
なによりも嬉しい成果です。😊
東京:女性
年に一度だけラーマやクリシュナの御名を唱えても無意味です。あなたは体のためにどれほど頻繁に食事をとっていますか? 同じように、心(マインド)も食べ物を与えられることを要求してはいませんか? 神を黙想することが心(マインド)にとっての食事です。お腹を満たして心(マインド)を飢えさせるのは、馬車を飾りつけて馬を飢えさせるのと同じです。体という馬車を動かし続けるには、心(マインド)という馬に餌を与える必要があるのです。
体は数え切れないほどの方法で公然と世話をされています。心(マインド)は人目につかないところで食物を与えられる必要があります。誰も神の御名を唱えることに気づくことのできる者はいません。誰も御名を唱えることで授けられる恩恵の一つさえ奪い取ることはできません。せっかくこの価値ある能力を有しているのですから、人はそれを十分に使うことを怠るべきではありません。皆さんは富を得るためには苦労をものともしません。神を体験するためにも同様の骨折りをしていますか? 神を想うことにもいくらか時間を割くべきではありませんか?
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.105
この前のメールを最後にしようと思っていたのですが、もしかしたら今回の情報は誰かの役に立つかもしれないと思って、またメールをします。
思い出したことがありました。忘れてはいけない思い出さなければいけないことだったのです。
以前のメールでマインドを破壊したことを伝えましたが、その経験をしたことの真の意味を理解することをしていませんでした。この世界には否定性はまったく存在していません。否定性は人間が勝手に作り出しただけのものです。私は以前、目と耳に入る外からの情報に影響を受けて困っていることを相談しました。たとえばニュースなどをみたあとに影響を受けているのを後で気づいて苦しんでいました。この苦しみをなんとかしたかったのですが、もしかしたら克服方向に向かうかも知れないと。
思考を一瞬で破壊した時のことをふと思い出したんです。破壊したあとは跡形もなく消えました。その時に知ったことはこの世界には否定的なことは何も存在していないという事実です。逆に肯定的なことは存在しているのかはわかりません。ただ否定性は自身を苦しみの真っ只中におとしいれるだけです。
今日、否定性は存在していないことを思い出したんです。そうしたら幸せ感の中に入れる感覚を楽しむことができました。朝の出勤、6時20分。雨模様の薄暗い景色の中で山の頂上から天に突き抜ける虹が出ていました。「こんな天気でも虹は出るんだ」と思って眺めて、虹って何か知らないけど、きっと幸運のしるしかも?って思いました。私の中で扉があいた。数年間も喜びと苦しみを行ったり来たりを繰り返していたけど、やっと扉の向こうに行ける気がしました。
私は自分の中にある否定性に気づき、そして克服する道をあゆむことがこれからできそうです。
皆さま、ありがとうございました。
千葉:女性
さて、私も昨夜から東京サイセンターにて開催されているアカンダバジャンを、動画にて、また断続的視聴になってしまって申し訳ありませんが、参加させていただいております。
全人類の幸福のため、という思いを抱きながら、真心でさせていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
神の御名を唱えることはきわめて神聖で効験あらたかであることが、認識されなければなりません。御名を唱えることは、人の中にある不純物を取り除く助けになります。御名を唱えることは、善良で神聖な思考を増進させます。心(ハート)が真理と愛であふれていれば、肯定的な思考だけが生じてきます。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.105
このメルマガの御言葉は、時に、こと細かに細部にわたってこうすべき、というようなことが良く書かれていますが、私はそのようなことは信じていません。はっきり言います。重箱の端をつつくようなことを言って、人の行動を画一化して、機械のようにがんじがらめにさせて、人の自由を奪った時にはどうなるでしょう。そこには怒りが生まれるし、愛とは正反対の世界になります。何でもかんでもババの言ったことを何も考えないで鵜呑みにするのは良くありません。聞いたこと、読んだことは常に、自分の良心の声を聴いて自分の頭を使って考えてください。分からないことでも何でも実行するのは良くありません。大切なのは、より多く愛せるようになること。もし、あなたのしたことが、ババの御言葉の通りにやったとしても、怒りや嫉妬や憎しみを生んでしまったなら、何かが間違っているのです。常に、より多く愛するためにはどうしたらいいのか、自分なりに考えて行動しましょう。理解できない難しい御教えは、ひとまず置いておいて、自分ができそうな比較的簡単なことから、ひとつでもいいので、頑張ってみてください。いきなり東大生になりたいのは分かりますが、まずは、小学生の勉強をしっかり理解しないと。その次は、中学生、その次は高校生。ものには順序があります。理解できるところをきっちり守ることからスタートしてください。私はナマスマラナは、魔法の呪文だと思って唱えてます。それだけでも守られてるんですよ、あなたが気がつかないだけで。
大阪:女性
さて、本日のお便りについて、おっしゃる通り、このカリユガの時代に、とても難しいと感じております。私自身の霊性修行が、神様からご覧になってどのくらい達成出来たのだろう?と、毎日考えます。
一例を申し上げますと、サットウイックな食べ物を調達しようとしても、すべてオーガニック食品に揃えることは出来ておりません。
私は、食前の祈り、フードマントラを必ず唱え、サイババ様にプラサードにしていただき、食する毎食でも、この点を感じることが多くあります。
お便りの中の一節にありました、
「不完全な一歩でも、ババはそれさえも完全なものにするために力を尽くして下さっている」
と書かれていたことに、私は、この方と同じ思いです。
サイババ様の蓮華の御足に、一歩一歩近付きたい、と決意し、霊性修行に精進する人々の、励みは、こちらにあると信じます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
おとつい、久しぶりにサイセンター活動で読み合わせをした「108の御名」をよみました。
(いつも、枕元に置いてあります)私がサイセンターに加入した、3年前出会った本です。
とても有難かった...スワミによくぞご縁をいただいた。と思いました。
40ねん程前テレビで特集されたりサイババブームになったころ書店から本やビデオを買いました。
知り合いから、ヴィブーティーが小さいビニール袋に入って回ってきたりもしました。
加入したのは、ずっと見ていたサイトに「センターに加入して、共に活動してこそ、スワミのさす霊性の道が 体験できる」ような事が書いてあったからです。
「108の御名」は、毎月満月祈りの会で拝聴しております。今体力がないのでz参加ですがZoomもまた参加したいです。今日はセンターは一晩中バジャンです。Zoom参加してます。
大阪:女性
ナーマスマラナに参加できて良かったです!
自分は誰か?
ー私は神 全ては神 ー
少しでも、気づくことができて良かったです。五感に流される日々で、解脱は遠い…でも、現世でババに会え、導かれ、今ここにいる。その課程に生きている。感謝です!
内なる神を信じて生きて行きます。
私たちのすべての霊性修行の目的は、あたかも燃える木炭を覆っている灰を払い、湖の表面に密集している苔をすくい、太陽を隠している雲を払いのけるように、自分の心(マインド)〔マナス、思考と衝動の束〕から好き嫌い(ラーガとドウェーシャ)とそれ以外のすべての歪曲(ヴィカーラ)を根こそぎにすることです。この目的に達するための、最も簡易でありながら最も強力な霊性修行(サーダナ)は、自分の舌を聖なる御名を歌うことに没頭させ、自分の心(マインド)を神々や女神の神聖な力について想うことに没頭させ、自分のハートを霊性修行(サーダナ)の進歩を求めて愛を込めて神の助けと恩寵を請うことに没頭させることです。手を叩(たた)くことも助けになります。なぜなら、手を叩くことで、木に止まって騒々しい鳴き声を上げ、糞を落として地面を汚している鳥たちを追い払うように、手を叩くことは、私たちの思考と感情にリズムを加え、自分の心(マインド)が聖なる神の御名とのハーモニーを保ち続ける助けとなるからです。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.79
時々このメルマガに失望させられることがあります。(非難しているわけではありません)
ババの言葉は「こうした自己浄化なくしては、どんな御名が唱えられようとも、すべては全くの無駄であり、何の利益ももたらされません。こういった理由により、多くの人がナーマスマラナに従事していても、絶えず神の存在を感じて生きている人、全宇宙を満たす神の栄光に絶えず気づいて生きている人は、ほんのわずかしかいないのです。」
こうすると多くのナーマスマラの意義は何なのでしょうか。
「霊性修行(サーダナ)の効力を補うためには、規則正しい生活、浄性(サットウィック)の食べ物と浄性の行いによって養われた良い思考を促す生活を送らなければなりません。」がそれを送ることができない人はこのサイトはどう考えていいのでしょうか。そのような生活を目指すのは素晴らしいですが、そうであっても現代のカリユガの状況では難しいでしょう。
考えてみるに第一にギーターなどは「たとえ自分の行が不完全であっても、他人の完全な行為よりも望ましい」と解すことができます。第2にババは一歩進めれば、ババの方から何倍もこちらの方に来られるとの発言があります。
不完全な一歩は完全な一歩との何十分の一の効果しかないかもしれませんが、ババはそれさえも完全なものにするために力を尽くされているように思えます。ナーマスマラナに従事して時々でも神の栄光を感じることができるのはやはりナーマスマラナの効果とも思います。このように考えるのは妥当だと思いますが、いかがでしょうか。
男性
私ではなかったら対処できないだろう問題が起きてくる。このような経験がキツくて、おそらくこれから先もとんでもないことが起きてくるであろうことを想い、神様に「あまりキツイことはおやめください」と祈ったりしていました。この道に来てしまったのでハッピーはありえないだろうと覚悟はしていましたが、経験を重ねていくうちにもしかして未来は変えられるかも知れないと気づくようになってきました。
将来、私も自宅にアシュラムをつくって皆んなに幸せを広める場を提供できたら良いなって思うようになりました。うっすらと思い描くだけで、この夢はまだ産まれたばかりですので確定ではありません。私自身は24時間いつでもハッピーを目指している段階です。
ありがとうございました。
千葉:女性
さて、本日のサイババ様の御言葉を有り難くいただきました。
「霊性修行(サーダナ)の効力を補うためには、規則正しい生活、浄性(サットウィック)の食べ物と浄性の行いによって養われた良い思考を促す生活を送らなければなりません。こうした自己浄化なくしては、どんな御名が唱えられようとも、すべては全くの無駄であり、何の利益ももたらされません。(後略)」
私は、規則正しい生活、浄性の食べ物、浄性の行いと良い思考を促す生活を旨として、ナーマスマラナを実践させていただきます。ナーマスマラナメモの追記も忘れません。
ありがとうございました。
神奈川:女性
霊性修行(サーダナ)の効力を補うためには、規則正しい生活、浄性(サットウィック)の食べ物と浄性の行いによって養われた良い思考を促す生活を送らなければなりません。こうした自己浄化なくしては、どんな御名が唱えられようとも、すべては全くの無駄であり、何の利益ももたらされません。こういった理由により、多くの人がナーマスマラナに従事していても、絶えず神の存在を感じて生きている人、全宇宙を満たす神の栄光に絶えず気づいて生きている人は、ほんのわずかしかいないのです。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.75
御名を唱えて偶然が多く、不思議に思うようになりました。
富山で、祈りに台風の進路が変わったこと、北海道の礼文島で、珍しく晴天続き帰る日、羽田は台風で御名に祈り台風が消滅したこともありました。振り返ると他にも多々あります。
今年は、御名プロジェクトが開始され北海道に行くとき、旅の安全を念入りに唱え出かけニセコは、晴天続きでした。帰宅して驚いたことに、八王子で、珍しく大きな雹が降っていました。
娘の職場の医療関係者の医師や看護師さん達の車は、大きな雹でボコボコに凹んでいたそうです。
娘の車は、偶然羽田に駐車していたのおかげで無傷でした。
旅に出るとき、念入りに御名を唱えて、護られたのだろうかと思いました。体験が神さまを一番身近に感じました。
最近子供の頃を思い出します。特に何か信仰している家ではなかったけど、毎朝神棚にコップ3つのお水と仏様には、お茶三つお供えしている家でした。遠出するときも、神仏に必ず手を合わせていました。戴き物や初物は必ず、神仏にお供えしないと食べられない家でした。見たこともない神に祈り、不思議に思っていました。実家に帰ったとき、夢で5人くらい金色のお坊さんが、自分の周りで、手を合わせている夢を見て目覚め不思議に思ったことあります。朝起こしに来た父が、朝からお坊さんと寝言を言っていたと不思議がっていました。今思うと守護神かなあと思いました。神の御名に感謝いたします。これからも神の御名を唱え続けようと思います。長文すみません。ありがとうございました。
神奈川:女性
さて、本日のお便りにて、
「(前略)私たち一人ひとりの思いが、この世界を創造していたんです。鍵は、私たちの思い。私たちが思いを愛や平和で満たせば、世界は一瞬にしてそのようになる。(後略)皆さんはどう思われますか?」とありました。
私も、そのように信じております。
そして、世界のすべてが幸せになりますようにと願い、自分自身も、神様の、正義の復興の道具(ダルマスターパナ)として、お使いいただきたく、精進させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
神様の御名を唱えているときに、みんな神様の子供なのだ、と思える瞬間があり、それを少しでも長く維持できたら、きっと人生の中で、最も有意義な時間になるのだろう、と思いました。「幸せ」は、みんなが自分を神様の子供と認識したときに、初めて平和が訪れるのではないか、と。そのためのまず、「自分から」を実践することだと思いました。ナーマスマラナは、最も簡単な霊性修行、と聞いておりましたが、カリユガゆえか、実際はとても大変なことだと、やってみて気づきました。だからこそ、思いを御名にのせて唱えるように頑張ります。そして、「みんな幸せになる」ことを信じて、日々精進したいと思います。
神の御名、辛い時、苦しい時に神の御名を唱える方が順調な時、平穏な時より甘く感じる。
病人が沢山いる所で働いていたので、厳しい環境の時に神の御名を唱えると自分のコップが溢れて周囲にも神の御名の恩寵があふれでて周囲をも浄化すると言う事を強く思いながら唱えていくと、とても穏やかな、嬉しい気持ちになります。
心の中で静かに御名を唱えるのも味わい深いです。
いつも有り難うございます。
ナガラ・サンキールタンでの神の御名を聞いて起床した者は、その日の残りの時間、心(マインド)に神聖でない罪深い思考を抱くことはなくなるでしょう。
心がその人を不適当な行為にかり立てることもありません。
心(マインド)は神聖な思考だけに満たされ、ハートは徳高き仲間に捧げられ、身体の四肢はすべて神聖になるでしょう。それはその人自身にだけでなく、他の人の体と心(マインド)と魂にも有益な栄養を与えます。それは、夜明けに甘いナーマ・サンキールタンを聞いた者にとっても、それを歌う者にとっても、『日の出(サンライズ)』であるだけでなく、永遠の『至福の出(ブリスライズ)』でもあるのです
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.88
先日、私に起こったインスピレーションの話をシェアします。
朝起きて、寝る前に茹でた大豆(味つけなし)で朝食をとりました。少しして、わがベイビーちゃん(にゃんこ)がなくので、数十分ベイビーちゃんの顔をアップでじーっと見つめていたら(いつも静かになります)、うとうとしてきて、ふっと、宇宙の果てってどんなだろうな、という考えが浮かんできました。そしてうつらうつらとなって目をつむったら、暗闇が広がりました。そこで、ぴーんときたのです。宇宙の果ては、この世界だと。いわゆる般若心経で言うところの無ですね。始まりも終わりもない、無限の暗闇です。そこに、私たちが何かをイメージすると、頭の中でイメージした通りの世界が広がる。それが、私たちが生きているこの世界なんだと。そのようにして、私たち、ひとりひとりの思いが、この世界を創造していたんです。鍵は、私たちの思い。私たちが思いを愛や平和で満たせば、世界は一瞬にしてそのようになる。
そのようなインスピレーションです。私は、その前に食べた御名がいっぱい詰まった大豆と、ベイビーちゃんの純粋な心のエネルギーが手伝ってくれたからかな、などと妄想してました。
皆さんは、どう思われますか?
大阪:女性
| 目と耳を神聖なものにするってどうすれば叶うのでしょうか?
御名を唱えるようになり、散歩のとき可愛らしい子花にかわいいね。綺麗に咲いてありがとうと声をかけるようになりました。風で揺れると返事してくれたように思い、嬉しくなります。他者が見たら変に思われるでしょうね。今朝は、鳥小屋の前を歩いているとコッココおはよう、コッコと聞こえます。以前、娘が電柱で、カラスがおはよう、おはようと言っていた驚いたと話し、娘に何度聞いてもカラスがおはようと言っていたとおかしなコと思いつつ否定は、やめてカラスが日本語を覚えたのかもしれないねと話しました。まるで、絵本の(聞き耳頭巾)のような話しと思いました。
今朝は、鶏がコッコおはようッコッコココおはようと可愛いらしく聞こえ遂に鳥の話しが分かるようになったのかと思いました。耳を澄ませていると、飼い主さんが一羽一羽におはようと声かけしているようで、鶏がおはようにコッコと返事しているように聞こえました。
神社の御神木も耳を当てると水を吸い上げる音が聞こえることを知り、耳を当てたりしています。
光と植物の精霊と動物や鉱物とお話しができるといいなあと思っています。
降る雨の水にも、太古の記憶があるようです。雨音に耳を澄ませると心落ち着きます。自然界と調和して生きられたらと思います。
神奈川:女性
| 目と耳を神聖なものにするってどうすれば叶うのでしょうか?
につきましては、私が実践させていただいておりますことを、報告させていただきます。
サイババ様の御言葉にて習いました、
「善を見て、善を聞き、善を話す」です。
日々何度も思い出して、それに努めております。
マインドを100%無には出来ておりませんが、神様に近付くには、私には、これが外せない実践なのです。
同時に、自分自身の心と言葉と、行いも、善でなくては!と、自戒の念を持って、精進させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
以前、気功を習っていた時に聞いた話です。15年間気功を極め、幽体離脱やらテレパシーやら様々な超能力を習得した人がいました。
その人が、サイババ様のアシュラムに行かれたという話を聞きました。
アシュラムでは、サイババ様が歩いてきて、自分の目の前でピタッと止まり、自分をじーっと穴のあくほど見つめられたそうです。
いったいなんだなんだ!と思っていると、片手をシュッと上げるポーズをとり、そのまま立ち去ったそうです。
すると、その日から今まで習得できてた超能力が、全てなくなったというのです。
全く普通の人になってしまった、と嘆いていました。
「霊性の道を歩むのに、聖人の道と天狗の道に分かれる」という話を聞いた事がありますが、
やはり大切なのは愛や奉仕、そして神の御名なのだなぁ、と実感いたします。
東京:女性
もし無知ゆえに犯してしまったなら、それは過ちではありません。けれども、ひとたびそれが悪いこと、害のあることと知ったのち、あるいは、御名と御姿を用いて忠実に瞑想(ディヤーナム)と唱名(ジャパム)を続けたのちに、もし御名と御姿が変えられたなら、それは明らかに悪です。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.127
質問です。
眠りから目覚める前の段階で、ほんの少しの未来と共に神の御名を唱えている時がありました。御名は神に届いていると思う安心感と神と共にいると感じる初めての経験です。目覚めてから「これはいったいなんだろう?」と思いめぐらしていました。目覚める前に神を思ったのは初めての経験なのでわからなかったんです。それ以来同じ経験はまだしていません。
目覚めている間、神を思っている人たちはすごいな、とても真似できないって思いました。そこで私はどれだけ神を思い出しているのか実行してみました。マインドがあり気づいて御名を唱えて、しばらくするとマインドが出てきての繰り返しでした。こんなにもマインドが勢力を握っていたのかって思いました。目と耳に入ることも記憶として困ることも多いです。その時は入った情報の影響に気づいていないのですが、あとになって影響を与えているのがわかります。これが苦しみの原因なんです。
光明瞑想をしてみましたが、これだけでは今の私には完全な効き目がないんです。
目と耳を神聖なものにするってどうすれば叶うのでしょうか?
千葉:女性
私は、このプロジェクトのスタート当初、大学生の息子が自分自身の将来についての目標を失いかけた、最大級の困難に直面した直後でした。
サイババ様からは、御言葉、御教え、御講話、書籍等々、たくさんの学びをいただいて参りましたが、私は、日々の衣食住を彼に真心でさせてもらう他は、何と無力なのだろう、と自己嫌悪を感じずにはいられませんでした。
しかし、私はこの幸せへの御名99プロジェクトで、ナーマスマラナに、全身全霊で取り組ませていただきました。私の五官の感覚である悲しみや辛さなどは、サイババ様に習いました通り、幻と心得て、捨て去りました。
しばらくすると、バジャンが聴きたくて聴きたくて仕方がない衝動にかられて聴きはじめ、少しして、数十曲は歌えるようにならせていただきました。
それはもう、例えようのない歓喜と共に歌えるのです。
自宅で悶々と考え、悩む息子にも、波動として届けたい、と決意し、ナーマスマラナも、そしてナーマ·サンキールタン(愛犬と二人でのお散歩時に)も、バジャンも、息子だけでなく、家の中、そして世界中に波動が拡がるようにイメージしてさせていただいておりました。
10月に入り、突如として、息子が自分自身で将来のことを決断し、その一歩が踏み出せたのです。
本当に素晴らしいサイババ様からの奇跡をいただいたと、感謝でいっぱいです。
私は、サイババ様が息子を変容して下さったと、心底感謝申し上げます。
私は、サイババ様のために、今後の人生、そして永遠に自分自身の魂で、宇宙のすべては神様であることを忘れず、その時々に与えられる私の仕事を、そして特に辛く悲しい思いや、貧しい環境に置かれた人々への奉仕も、サイババ様への奉仕として受け止め、日常生活を、世俗の生活をさせていただきながらでも、我が身を捧げる決意をさせていただきました。
息子をお救いいただき、本当にありがとうございました。
案の定、長文かつ乱文になってしまいまして、申し訳ありませんでした。
いつもこの配信をいただき、とても勉強になり嬉しく読ませていただいてます。
27年前にババ様を知ってから、ただ家で朝夜の祈りと本を読んだりバジャンを聴いたりして過ごしてきました。
最近は画面の多くの文字を読むと思うだけで気が滅入ってしまうのですが、この配信も来始めた頃、これを毎日読まなきゃいけないんだ…と思っていたら、なぜか来なくなり、このプロジェクトは配信がないんだな、と思ってホッとしていました。
そして1か月位経ち、本当に来てないのかな?と思ってゴミ箱を見るとそこに届いていました。
慌ててフォルダーを作ってそちらに移すと、今度は普通に受信のフォルダーに届くようになりました。
いつもあっという間に読み終わってしまう程、楽しんで読ませていただいてます。
最近奉仕するにあたり、特に自分の思いを純粋にしなければいけない事に気づきました。
奉仕は量ではなく質という言葉の意味がわかってきた気がしました。
東京都:女性
御名とは少し違う話ですが、若い頃に、ピカソの「crying woman(泣く女)」という画集に魅かれて購入したことがあります。ピカソはたくさんこの泣く女を描いていたのですが、あの独特の画風で泣く女性の気持ちを良くあらわしていると思います。皆さんも一度、ネットなどで探して見てみてください。とても味わい深い絵です。私はその絵の中に、とても美しい女性の愛を感じました。ピカソはきっとこの愛を表現したかったのだろうなと思います。そのことをふっと思い出して、思わずババのこの言葉が心に浮かびました。
Life is love, enjoy it.(人生は愛、味わいなさい。)
大阪:女性
過去の話ですが一度だけ完全に思考が停止した経験があって、その時にマインドが入りこんだ瞬間に体をかけめぐってある部分に影響をあたえるのがわかりました。たぶんですがマインドの種類によって体にあたえる影響部分が違うのではないかと思います。それが事実なのかはわかりませんが私はそう感じました。マインドと体にあたえる影響は数秒、私は2秒ほどでした。そこで入りこんだマインドを破壊しました。
今、マインドを完全にコントロールできていないので、停止した状態にはいません。それを目指しています。
今回はたくさんの方々がインドへ行かれると思いますが、私は定年退職したら行けると思って励みにしていたのですが、定年退職後も働かないといけないと覚悟を決めました。定年退職後はパートでのんびりできるなんて想像していましたが、そんなことを想像している自分がばからしく思えて。75歳になっても働くと思うと、この体を健康に維持しなくてはならないんです。マインドがあると健康を維持するのが難しくなってきます。これはあくまでも私が経験で出した答えなので、実際にマインドと体の影響の真実のことは知りません。
帰依者とかの専門用語は知らないですし、私は一般に生活している者です。
普段は仕事をして次の日も元気に仕事に行けるようにストレッチや瞑想のようなことを数時間していて、残りは睡眠にあてるので本を読む時間がないんです。以前質問をしたマインドを御足に置く意味がわからなくて、答えを何回も読んでみても、それが即実践に繋げられないんです。知識がないのでこれからは読書の時間も少しとろうと思いました。
今、マインドに気づいていますが、気づいていることがもっと進むと、おそらく食べ物などが体に影響をあたえるのも感じられるようになるのではないかと思います。それはわかりませんよ。今はそこまで繊細な内部の動きを感じる段階までいっていないのだと思うだけです。
私が帰依者とか知りませんが、私は神の教えがないと生きていくことができません。
皆さまありがとうございます。
千葉:女性
「バガヴァン・ナーマスマラナ〔至高の神の御名の憶持〕に費やした時間だけが、正しく価値のある生きた時間なのです。あなたの舌の上で主なる神の御名が永遠に踊り続けていなければなりません。このようなわけで、ナーマスマラナとナーマ・サンキールタンには、私たちの霊性修行の中で非常に重要な位置が与えられているのです。」の御言葉通り、私は、このプロジェクト期間が終了しても、この二つに加えて、バジャンを歌うことと、そして、私の心も、言葉も、行いもすべて、サイババ様への奉仕と思い切り、毎日、そして永遠に、サイババ様にお捧げする思いで、継続させていただく決意をさせていただきました。
私の唯一の目標は、神様との合一、解脱なのです。
ありがとうございました。
神奈川:女性
いつも皆さま、それぞれすごいなと思って、お便りを読ませていただいています。
人それぞれの御名に対するいろんな思いがあるのだなぁとつくづく思います。
私も朝晩の瞑想の時間にガヤトリマントラを唱えていましたが、プロジェクトが始まって、御名は強力な波動であると思い御名を唱えることを付け加えました。
唱える時は、私は神、すべては神といつも同時に思いながら、そして今ここに波動と光としての神が臨在ていることを信じながら唱えております。
やはりとても心が穏やかになり、日ごろのささいなことでの心の波立ちも、すっと流せるようになったように感じます。
どなたか同じ様な感想をおっしゃった方がおられましたが、ある日、電車の中で座っていらっしゃる方々に全て神が宿っていらっしゃると思うと、目頭が熱くなりました。
昨今、量子力学の物理の世界では、粒子と波動の実態が明らかになっらしいのですが、 この事はまさにスワミの御教えと一致するように思います。
科学の証明が無神論者を有神論者に変えるかも知れません。
この世は全て粒子に満ちて、観察してる時は粒子は目に見えてますが、観察しない時は波動つまり見えない幻という事らしいです。
全宇宙に漲る波動、量子力学でいう、ゼロポイントフィールドがつまりアーカシャ、ブラフマンではないでしょうか?
皆様との波動のつながりで、より強固に光と波動の神様との繋がりを感じるのかもしれません。
このプロジェクトが終わっても御名を唱え続けると思います。
いつも皆様 有難うございます。
| 自分の中の変化、変容
「大切なものは何か、何をすべきか、するべきでないか」を シンプルに思考できるようになり、外からやってくる物に対して軸がブレず、穏やかに受け入れられるようになりました。
日々の生活の中で苦しみや悲しみの感情はどうしても湧いてしまうのですが、それらの中にも神の愛を感じられるようになったのは、本当に大きな変化だなぁと思います。
いつか礼拝やお祈りの場に参加したいと考えております。
岡山:女性
バガヴァン・ナーマスマラナ〔至高の神の御名の憶持〕に費やした時間だけが、正しく価値のある生きた時間なのです。あなたの舌の上で主なる神の御名が永遠に踊り続けていなければなりません。このようなわけで、ナーマスマラナとナーマ・サンキールタンには、私たちの霊性修行の中で非常に重要な位置が与えられているのです。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.71
強力なマントラ欲しさにネット中を探し回った結果、ババ様のガーヤトリーマントラに出会ったのが私の霊性修行の始まりでした。
後にナーマスマラナを知ることになるのですが、ガーヤトリーマントラを覚えるのに2〜3日を要したので、大変失礼ながら神の御名という尺の短さに思わず拍子抜けしてしまった記憶があります。
ガーヤトリーマントラと共に神の御名を憶念するようになってから、内なる声を聞く回数が激増したのを肌身に感じております(記録もしてあります)。
自分の運命はヴィシュヌ神が握っていて(後に時間を司る神と知って納得)、天寿も数年かけて手がかりを散りばめた形で教えていただきました(おかげ様で終活できました)。自分についている神(私の場合ババ様を含む3人とか)を教えていただいたことも。
実は物心ついた頃から内なる声を度々聞いておりました。無視すると決まって悪い結果になるのです。
それでも「これが良心ってものか」という漠然とした意識が年月とともに醸し出されていったように思います。
その時代にババ様の教えに触れる機会があったらどんな大人になっていたかを考えたいところですが、残り少ない人生を思うとラストスパートをかけて霊性修行に励まざるを得ないというのが、現在の私の正直な思いです。
たった今もナーマスマラナと共に皆様の幸せをお祈りしております。
感謝しかありません。
御名のプロジェクトへ参加させていただく機会を与えてくださったババさま、オーガニゼーションのプロジェクトチームの方々に心から感謝を申し上げます。
私はとても怠け者で、自分でもまったく仕方のない人だなと思うことが度々あり、でもこんな自分の歩みの中で感じることもまた、与えられた機会と思って過ごしています。
今回、御名を唱えながら思っているのは、心はあらゆる音、波長を出すことができるであろうということです。なので、音叉が示してくれるように、御名という音、波長を出すことができていたら、周りは共鳴しだしてそのような反応や変化が現れてくるのだろうなぁと。
神の御名は私の救いです。平凡で毎日同じように繰り返される日常がどれほど幸せであるか、御名を唱えだしてから今この与えられている時間の豊かさを感じられるようになりました。苦しんでいる人、悲しんでいる人の力になって、神の慈悲がより多くの人へ拡がるよう私も皆さまと歩みを共にしたいと思います。
さて、本日のサイババ様の御言葉を有り難くいただきました。
神の御名は、私達人間から普遍なる実在(シャクティ)を覆い隠しているマーヤー[迷妄、幻、幻力]というベールを取り除いてくださること。そしてこのベールが消えてなくなったとき、人は自らの内に神を発見し、全宇宙を自分自身として見るようになることを習いました。
私は、例え薄皮一枚ずつでも、自分自身のマーヤーを消し去ることが出来るようにイメージして、地道にナーマスマラナの実践を継続させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
気付いたことですが、
御名を唱えていますと心の内で迷っていて、答えが出ていない事柄の気付きが起き、安らかな回答が得られます。
それで、行動する事が出来る事を感じています。
ありがとう御座います。
11月に入り、ババ様の御降誕祭を意識するようになった最近、このプロジェクトに参加してからを振り返って気がついたことですが、最近親しくなった方たちが、けっこう何らかの神(天照大神、アメノミナカヌシ、クリシュナ、弘法大師、親鸞など)の信仰を持っている人ばかりだったということです。
ババ様に出会ってから20年、センター以外の人に神様の話しなど、ほとんどしなかったのに、今は不思議なほど自然にババ様のことを話している自分がいて、その話しに共鳴してくれる人たちと出逢っているような気もします。
私の中で神様への確信が高まったせいなのか、世の中の方が変わったのかわかりませんが、私的には居心地が良くなって嬉しいです。
神様のお導きに感謝です。
埼玉:女性
私は霊性修行に興味はあるものの、帰依者ではございませんので、残念ながら皆様のように高次元の気付きには到底至りません。
そのような中で敢えて変化を挙げるとしましたら、どなたかもおっしゃっていましたが、『御名を数えていない時でも無意識に御名を唱えている時があり、神様を身近に感じられるようになった。』という事でしょうか。
帰依者ではない一般(?)の者にまで、このような素晴らしいプロジェクトに参加する機会を与えて下さり、深く感謝申し上げます。
大阪:女性
御名は人間(ヴャクティ)から普遍なる実在(シャクティ)を覆い隠しているマーヤー〔迷妄、幻、幻力〕というベールを取り除きます。
このベールが消えてなくなったとき、人は自らの内に神を発見します。そして、全宇宙を自分自身として見るようになるのです。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.28
シルディサイもマナスマラナを重視していました。
書籍「カリユガを生きる」も何回か読んだのですが、それを意識したり、マナスマラナを実施したりはしませんでした。
実際に続けると意味がわかるのだと思いました。
千葉:男性
| 神は愛であり、神のすべては愛です。神を愛として黙想し、神の御名を愛の化身の御名として唱え、神を愛として崇敬すること。
| 絶えることなき神の恩寵を得るには、小さな一つの全託の行為で十分です。「あなただけ、他には何もありません」
| それは、あなたのすべての行いを計り知れないほど有益な礼拝へと変えるでしょう。
私は、すべての行いを、神様への有益な礼拝に変えていただきたいと熱望し、精進させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
神は愛であり、神のすべては愛です。神を愛として黙想し、神の御名を愛の化身の御名として唱え、神を愛として崇敬すること。これは神へと至る最も容易な道です。
自分には、神聖な場所を訪れて聖者や賢人によって聖化された有名な寺社の前で平伏するためのお金がない、ヴェーダをマスターする時間や才能がない、だから自分は神から遠く離れている、と思って落胆している人たちもいます。
これはまったく間違っています。
というのは、神はそうした外的な達成の程度で恩寵を量り分けることはないからです。神は量には動かされません。
餓えを満たすのに、世界のすべての穀倉地帯の穀物が必要なわけではありません。一つかみで十分です。
喉の渇きを癒すのに、すべての川の水を求める必要はありません。コップ一杯の水で十分です。
それと同じように、絶えることなき神の恩寵を得るには、小さな一つの全託の行為で十分です。
何年にもわたる苦行や学びや霊性修行(サーダナ)が要求されているわけではありません。「あなただけ、他には何もありません」――このことを心に留め、その信念を持って生きなさい。
それは、あなたのすべての行いを、計り知れないほど有益な礼拝へと変えるでしょう。
1966年の御講話より
| 自分の中の変化、変容
としては、プロジェクトが始まる前は、以前はできていたナーマスマラナの習慣が途絶えていて、内心 ’なんとかしなければ’ と思っていました。プロジェクトが始まって最初の内は寝る前にまとめて唱える様な状態でしたが、日が経つに従って楽になって来て、今では自然に心の中で唱えられているようになってきました。また、以前から自分は口だけで唱えている感じがあり、ハートや、その下、足全体や爪先まで行き届いていないのを感じていたので、今回、良いチャンスと思い、それらの部分にも御名の波動が響き渡る様に意識して唱えてみました。初めは困難しましたが、その内にこちらも身体全体で感じられるようになり、やっとババが自分を内側から照らし、またすべての細胞全体を包み込んでいてくれている感じがわかるようになってきました。恩寵に感謝致します。
東京:女性
ババ様を知って30年になります。
仕事をしながら、3人の子供を育て、7年前に夫を見送り、無我夢中で生きてきました。
いつかはババ様の信者の皆様と行動をともにしたいと願っておりました。そのタイミングでこのプロジェクトへの参加を決めました。
お恥ずかしいことに参加の資格なんて全くない生活をしております。
そして御名を唱えること。私にとっては本当に本当に難しいです。
でも、がんばります!毎日のこの通信がどんなに励みになることか。七転八起きです!
愛知:女性
思えば20年以上前にサティヤ サイ恵みの水基金と言うイベントがあり参加させて頂きました。
サイに喜んで頂ける尊い機会を与えて頂いて嬉しくて誇らしくて、インドの子供達が当時は井戸に水汲みに何時間もかける等思うとバブル時代の私達が少し何かを我慢するだけで井戸が出来るなんて嬉しい思いで参加させて頂きました。
給料の10%を寄付しようと始めましたが当時はお金が無くて予定より少なくなる事も沢山有りました。
20年以上経った今、インドのプッタパルテイに行ってもセバダルの真摯なセバは変わらずに素晴らしいと思うと同時に建物等少し古くなったな、、とふと思ったりしました。
いつも比良さんが東京センターはセバをしてくれてますがどれだけの徳を積んでいるのだろう。
それと書物やベーダ等の宝物を守って頂いた事に関する感謝は絶えません。
日本だと神社に玉串や柱や木を植えたりと寄付をする機会が一般帰依者にも有るのですがサイセンターでもそのような機会が私達にも与えられると嬉しいです。
様々な人生の紆余曲折がありながらもサイとしっかり結ばれている守られている幸せ。
毎朝のベーダや祈りやサイの本を読む事も大切だけれど、急なアクシデントや人生の足元が揺らぐ様な出来事にあった時に神の御名は何と助けになるのだろう 神様への直通電話であると思います。
唱える回数は元より、深く愛を込めてサイの御名を唱えられます様にと願います。
さて、一昨日の出来事を報告させていただきます。
両親と私達姉妹の四人で、極々ささやかな母のお誕生日会をしました。
私は電車とバスを乗り継いで実家へ向いました。
行きはケーキその他の荷物を無事に届けることと、心の中でバジャンを歌い、世の中に神様の波動を広める目標で、移動に努めました。
帰り道でバスを待つ時、電車に乗ってから、断続的に私の中に訪れる思いが…
今、私の目に映る人々は、サイババ様がハートにおられる。一人ひとりが、一体どんな一日を過ごしたんだろう?
善いことも、悪いこともあったんだろうな。
お腹空いてるだろうな。
混雑するバスや電車で帰宅して、家で何をするんだろう?
何を食べるんだろう?などと、次々思うのです。
他の人が私を見たら、単なる人間ウォッチャーにしか見えなかったかもしれません。
しかし私は、幸せの御名99プロジェクトに参加して、ナーマスマラナの実践をさせていただく以前には、混雑した公共交通機関で、他の人への、このような思いを感じられることはなく、自分自身の次のやるべきことや、何か他のことを考えてしまっていました。
私は、この変容をとても嬉しく思いました。
これからも、この視点を大切にしたいと思いました。
世界のすべてが幸せになりますように、という祈りも忘れません。
ありがとうございました。
神奈川:女性
神の御名の中にある甘さだけが人生を価値あるものとし、人生のゴールに到達するのを助けてくれます。神の御名をいつも舌の上と心の中に置くことによってのみ、私たちはこの世というマーヤー〔迷妄、幻、幻力〕の影響に打ち勝てるのです。人生におけるあらゆる二元性、言い換えるなら、真理と非真理、正と不正は、マーヤーが私たちの目の前で踏む踊りのステップにすぎません。それゆえマーヤーは、心(マインド)を誘惑する踊り子『ナルタキ』と呼ばれているのです。彼女にたぶらかされ誘惑された状態から脱するには、ナルタキと逆のもの、すなわち『キールタナ』〔神の栄光を歌うこと〕を頼みとしなければなりません。キールタナによって、マーダヴァ〔クリシュナ神の別名。マドゥの子孫、迷妄の支配者の意〕の恩寵を勝ち取り、マーヤーという迷妄から逃れることが可能となります。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.32
神様の御名を唱えて何が起きたか?
今朝のことです。
夢で「行きます!」と私が言って目が覚めたのですが、「?」私はどこかに行く約束をしたのかしら?
何か大事な約束を忘れているような気がして、手帳を繰ったのですが、近日中の予定は空いています。
それでも、まだ不安な気持ちが続いていて、おかしい、絶対何か、どこかへ行かなければいけない、と思ったその時です!
そういえば、少し前にいただいたお仕事をすっかり忘れていたのを思い出したのです。
なんと手帳に記入していなかったのです!
私の仕事はメールでやり取りをするので、慌ててメールを確認したところ、2日後の予定でした。
やっとほっとしたものの、すっかり忘れて、他の予定を入れていたらと思ったらゾッとしました。
あの夢で神様が教えてくださったと思います。感謝と共に、神の遍在を強く感じました。
| 人間にとっての唯一の拠り所は神です。
雄大な富士山が目の前に見える山梨県の鉄炮木ノ頭の山を登りました。御名を唱えとても歩きやすい山です。
ススキの群落が光を浴び、辺り一面スワミの目の中のように、銀色に輝き煌めき広がり神秘的でした。
愛と平和に満たされますように御名を唱え歩きました。
娘が山頂だよと歩いて行くと神社がありました。オーム サイババ オーム サイババと唱えました。
これしか知らないのです。
山頂には、(地球戦没者慰霊の碑)が建ててあり説明文がありました。
(平和に記す人間精神の根源的自覚による大きな光のもとにあってこそ、はじめて現在の不安と同様の人類生活に永遠の平和が召集されうることを確信する。)とあり、全て神と思いました。
富士山を眺め、青空とすすきの大地が広がっています。娘は、宇宙と交信する場所なのではと口にする程、心落ち着く神秘的な場所でした。
帰宅すると家の中が突然明るくなり、ベランダに出ると太陽の横に虹が見える幻日と言う現象が現れ神さまを思いました。
翌朝、早く目が覚め散策すると遠くの山に彩雲の虹が現れています。神秘的で神さまに浸りました。
自然の中にときおり垣間みる神秘的現象に神を思います。拠り所の神さま、ありがとうございます。
神奈川:女性
さて、本日のサイババ様の御言葉、大海原の上を飛ぶ鳥の唯一の休み場所は航海中のマストであり、私達人間の唯一の拠り所は神とお導きいただきました。
何気なく見ていた風景に、ここにも神様の真理が表現されているのだと、感じ入りました。
さて、本日のお便りの、お二方の半生をお教えいただきました。
まさに魂のハートの中におられる神様とご一緒に、全身全霊ありったけの努力で今日まで生きて来られた様が赤裸々に描かれていました。一つ一つのエピソードに思いを馳せ、途中胸が詰まることや、苦しくもなりました。
しかし、このカリユガの時代、どなたもがカルマという善と悪の行いの結果を受け止め、頑張っておられるのだ、と改めて思い知らされました。
しかも、その、お一人おひとりの中の神様が、寄り添って導いて下さっているのだということに、胸が熱くなりました。
私も、サットサングの皆さんと、生き抜きたい!と、心底思えました。
その直後に、思い出されたサイババ様の御言葉、
「私の恩寵には限りがない」を、信じ切っております。
ありがとうございました。
神奈川:女性