最期の瞬間に神の御名を口にするのは容易にできることではありません。それには、深く根ざした信心に基づいた、何年にもわたる実践が必要です。それには、憎しみや悪意を持たない、強い人格が必要です。なぜなら、神への想いは慢心と貪欲の風土では生き長らえることができないからです。
さらに、いつが最後の瞬間かなど、あなたにどうやってわかりますか? 死の神ヤマ(閻魔(えんま)大王)は、あなたを捕まえに来ることを通知しません。ヤマは、カメラを抱えてスナップ写真を撮っている人のようなものです。カメラマンは、「用意はいいですか? シャッターを押しますよ」などと知らせはしません。もしあなたの肖像写真を天国の壁に掛けたかったら、その写真は魅力的なものでなければなりません。あなたの立ち方、ポーズ、笑顔、すべてがよいものでなければなりません。そうではありませんか? ですから、昼夜いつ何時(なんどき)でも神の御名が口元にあり、神の栄光が心に広がっていて、いつシャッターを押されてもいいようにしていることが最善です。そうすれば、いつ撮られても、あなたの写真はよいものとなるでしょう。
1960年11月23日