| 神は愛であり、神のすべては愛です。神を愛として黙想し、神の御名を愛の化身の御名として唱え、神を愛として崇敬すること。
| 絶えることなき神の恩寵を得るには、小さな一つの全託の行為で十分です。「あなただけ、他には何もありません」
| それは、あなたのすべての行いを計り知れないほど有益な礼拝へと変えるでしょう。
私は、すべての行いを、神様への有益な礼拝に変えていただきたいと熱望し、精進させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
| 神は愛であり、神のすべては愛です。神を愛として黙想し、神の御名を愛の化身の御名として唱え、神を愛として崇敬すること。
| 絶えることなき神の恩寵を得るには、小さな一つの全託の行為で十分です。「あなただけ、他には何もありません」
| それは、あなたのすべての行いを計り知れないほど有益な礼拝へと変えるでしょう。
私は、すべての行いを、神様への有益な礼拝に変えていただきたいと熱望し、精進させていただきます。
ありがとうございました。
神奈川:女性
神は愛であり、神のすべては愛です。神を愛として黙想し、神の御名を愛の化身の御名として唱え、神を愛として崇敬すること。これは神へと至る最も容易な道です。
自分には、神聖な場所を訪れて聖者や賢人によって聖化された有名な寺社の前で平伏するためのお金がない、ヴェーダをマスターする時間や才能がない、だから自分は神から遠く離れている、と思って落胆している人たちもいます。
これはまったく間違っています。
というのは、神はそうした外的な達成の程度で恩寵を量り分けることはないからです。神は量には動かされません。
餓えを満たすのに、世界のすべての穀倉地帯の穀物が必要なわけではありません。一つかみで十分です。
喉の渇きを癒すのに、すべての川の水を求める必要はありません。コップ一杯の水で十分です。
それと同じように、絶えることなき神の恩寵を得るには、小さな一つの全託の行為で十分です。
何年にもわたる苦行や学びや霊性修行(サーダナ)が要求されているわけではありません。「あなただけ、他には何もありません」――このことを心に留め、その信念を持って生きなさい。
それは、あなたのすべての行いを、計り知れないほど有益な礼拝へと変えるでしょう。
1966年の御講話より
| 自分の中の変化、変容
としては、プロジェクトが始まる前は、以前はできていたナーマスマラナの習慣が途絶えていて、内心 ’なんとかしなければ’ と思っていました。プロジェクトが始まって最初の内は寝る前にまとめて唱える様な状態でしたが、日が経つに従って楽になって来て、今では自然に心の中で唱えられているようになってきました。また、以前から自分は口だけで唱えている感じがあり、ハートや、その下、足全体や爪先まで行き届いていないのを感じていたので、今回、良いチャンスと思い、それらの部分にも御名の波動が響き渡る様に意識して唱えてみました。初めは困難しましたが、その内にこちらも身体全体で感じられるようになり、やっとババが自分を内側から照らし、またすべての細胞全体を包み込んでいてくれている感じがわかるようになってきました。恩寵に感謝致します。
東京:女性
ババ様を知って30年になります。
仕事をしながら、3人の子供を育て、7年前に夫を見送り、無我夢中で生きてきました。
いつかはババ様の信者の皆様と行動をともにしたいと願っておりました。そのタイミングでこのプロジェクトへの参加を決めました。
お恥ずかしいことに参加の資格なんて全くない生活をしております。
そして御名を唱えること。私にとっては本当に本当に難しいです。
でも、がんばります!毎日のこの通信がどんなに励みになることか。七転八起きです!
愛知:女性
思えば20年以上前にサティヤ サイ恵みの水基金と言うイベントがあり参加させて頂きました。
サイに喜んで頂ける尊い機会を与えて頂いて嬉しくて誇らしくて、インドの子供達が当時は井戸に水汲みに何時間もかける等思うとバブル時代の私達が少し何かを我慢するだけで井戸が出来るなんて嬉しい思いで参加させて頂きました。
給料の10%を寄付しようと始めましたが当時はお金が無くて予定より少なくなる事も沢山有りました。
20年以上経った今、インドのプッタパルテイに行ってもセバダルの真摯なセバは変わらずに素晴らしいと思うと同時に建物等少し古くなったな、、とふと思ったりしました。
いつも比良さんが東京センターはセバをしてくれてますがどれだけの徳を積んでいるのだろう。
それと書物やベーダ等の宝物を守って頂いた事に関する感謝は絶えません。
日本だと神社に玉串や柱や木を植えたりと寄付をする機会が一般帰依者にも有るのですがサイセンターでもそのような機会が私達にも与えられると嬉しいです。
様々な人生の紆余曲折がありながらもサイとしっかり結ばれている守られている幸せ。
毎朝のベーダや祈りやサイの本を読む事も大切だけれど、急なアクシデントや人生の足元が揺らぐ様な出来事にあった時に神の御名は何と助けになるのだろう 神様への直通電話であると思います。
唱える回数は元より、深く愛を込めてサイの御名を唱えられます様にと願います。
さて、一昨日の出来事を報告させていただきます。
両親と私達姉妹の四人で、極々ささやかな母のお誕生日会をしました。
私は電車とバスを乗り継いで実家へ向いました。
行きはケーキその他の荷物を無事に届けることと、心の中でバジャンを歌い、世の中に神様の波動を広める目標で、移動に努めました。
帰り道でバスを待つ時、電車に乗ってから、断続的に私の中に訪れる思いが…
今、私の目に映る人々は、サイババ様がハートにおられる。一人ひとりが、一体どんな一日を過ごしたんだろう?
善いことも、悪いこともあったんだろうな。
お腹空いてるだろうな。
混雑するバスや電車で帰宅して、家で何をするんだろう?
何を食べるんだろう?などと、次々思うのです。
他の人が私を見たら、単なる人間ウォッチャーにしか見えなかったかもしれません。
しかし私は、幸せの御名99プロジェクトに参加して、ナーマスマラナの実践をさせていただく以前には、混雑した公共交通機関で、他の人への、このような思いを感じられることはなく、自分自身の次のやるべきことや、何か他のことを考えてしまっていました。
私は、この変容をとても嬉しく思いました。
これからも、この視点を大切にしたいと思いました。
世界のすべてが幸せになりますように、という祈りも忘れません。
ありがとうございました。
神奈川:女性
神の御名の中にある甘さだけが人生を価値あるものとし、人生のゴールに到達するのを助けてくれます。神の御名をいつも舌の上と心の中に置くことによってのみ、私たちはこの世というマーヤー〔迷妄、幻、幻力〕の影響に打ち勝てるのです。人生におけるあらゆる二元性、言い換えるなら、真理と非真理、正と不正は、マーヤーが私たちの目の前で踏む踊りのステップにすぎません。それゆえマーヤーは、心(マインド)を誘惑する踊り子『ナルタキ』と呼ばれているのです。彼女にたぶらかされ誘惑された状態から脱するには、ナルタキと逆のもの、すなわち『キールタナ』〔神の栄光を歌うこと〕を頼みとしなければなりません。キールタナによって、マーダヴァ〔クリシュナ神の別名。マドゥの子孫、迷妄の支配者の意〕の恩寵を勝ち取り、マーヤーという迷妄から逃れることが可能となります。
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.32
神様の御名を唱えて何が起きたか?
今朝のことです。
夢で「行きます!」と私が言って目が覚めたのですが、「?」私はどこかに行く約束をしたのかしら?
何か大事な約束を忘れているような気がして、手帳を繰ったのですが、近日中の予定は空いています。
それでも、まだ不安な気持ちが続いていて、おかしい、絶対何か、どこかへ行かなければいけない、と思ったその時です!
そういえば、少し前にいただいたお仕事をすっかり忘れていたのを思い出したのです。
なんと手帳に記入していなかったのです!
私の仕事はメールでやり取りをするので、慌ててメールを確認したところ、2日後の予定でした。
やっとほっとしたものの、すっかり忘れて、他の予定を入れていたらと思ったらゾッとしました。
あの夢で神様が教えてくださったと思います。感謝と共に、神の遍在を強く感じました。
| 人間にとっての唯一の拠り所は神です。
雄大な富士山が目の前に見える山梨県の鉄炮木ノ頭の山を登りました。御名を唱えとても歩きやすい山です。
ススキの群落が光を浴び、辺り一面スワミの目の中のように、銀色に輝き煌めき広がり神秘的でした。
愛と平和に満たされますように御名を唱え歩きました。
娘が山頂だよと歩いて行くと神社がありました。オーム サイババ オーム サイババと唱えました。
これしか知らないのです。
山頂には、(地球戦没者慰霊の碑)が建ててあり説明文がありました。
(平和に記す人間精神の根源的自覚による大きな光のもとにあってこそ、はじめて現在の不安と同様の人類生活に永遠の平和が召集されうることを確信する。)とあり、全て神と思いました。
富士山を眺め、青空とすすきの大地が広がっています。娘は、宇宙と交信する場所なのではと口にする程、心落ち着く神秘的な場所でした。
帰宅すると家の中が突然明るくなり、ベランダに出ると太陽の横に虹が見える幻日と言う現象が現れ神さまを思いました。
翌朝、早く目が覚め散策すると遠くの山に彩雲の虹が現れています。神秘的で神さまに浸りました。
自然の中にときおり垣間みる神秘的現象に神を思います。拠り所の神さま、ありがとうございます。
神奈川:女性
さて、本日のサイババ様の御言葉、大海原の上を飛ぶ鳥の唯一の休み場所は航海中のマストであり、私達人間の唯一の拠り所は神とお導きいただきました。
何気なく見ていた風景に、ここにも神様の真理が表現されているのだと、感じ入りました。
さて、本日のお便りの、お二方の半生をお教えいただきました。
まさに魂のハートの中におられる神様とご一緒に、全身全霊ありったけの努力で今日まで生きて来られた様が赤裸々に描かれていました。一つ一つのエピソードに思いを馳せ、途中胸が詰まることや、苦しくもなりました。
しかし、このカリユガの時代、どなたもがカルマという善と悪の行いの結果を受け止め、頑張っておられるのだ、と改めて思い知らされました。
しかも、その、お一人おひとりの中の神様が、寄り添って導いて下さっているのだということに、胸が熱くなりました。
私も、サットサングの皆さんと、生き抜きたい!と、心底思えました。
その直後に、思い出されたサイババ様の御言葉、
「私の恩寵には限りがない」を、信じ切っております。
ありがとうございました。
神奈川:女性