2024年9月29日日曜日

お便り161

 | なぜ、まず自分自身を変えなくてはならないのでしょうか。

他人を変える必要性はあまり考えたことはありません。(説得とかの意味なのでしょうか)
自分の利益のためだけならばそれは疑問ですし、相手のためだけに変えることはありえるでしょうが、そもそもそれが本当にその人のためになるかは疑問があります。
結局自分の価値基準あるいは宇宙の価値基準のなかで、自分としても変えたいとおもうことを変えることが考えられます。

不完全な自己の義務が、完全な他人の義務の履行よりも正しいとギーター(「自己の義務(ダルマ)の遂行は、不完全でも、よく遂行された他者の義務に勝る。自己の義務に死ぬことは幸せである。他者の義務を行うことは危険である」が)いうように、他人を変えるのは「他人」の義務であり、本来の「自分」の義務を遂行する方が、宇宙の法則からすれば正しいように思えます。
質問に対して質問で答えるようですが。
何かを変える場合それは今までの自分自身が何か問題があったようにおもえることもありますが、問題がなくとも、明らかに新たな問題に取り組み解決策を探ります。自分と相手に必要性があったとしてもまず、自分の義務として、その変化の必要性を考え、そ
れを他人に説得していくのでしょう。ただ、サイババの言葉に人の心を変えるのは天地をひっくり返すよりも難しいというものがあったはずですが、普通の人間では、それよりも自分の心を変えるというのが正しい義務だと思います。そしてその自己の義務を果たして後、他人がその義務の解決に納得することにより他人自らが変えようとすることになるのでしょう。

千葉:男性