2024年8月31日土曜日

お便り51 【回答】

なぜ、神の御名は、「いつも、喜び、感謝、歓喜、そして、その御名の無類さと壮麗さの自覚と共に」唱えなくてはならないのか。

そのように唱えたくても、落ち込んだり怒ったり嫉妬に陥っている時には、なかなかそうはできないかもしれません。
そのようなとき、どうしたら、喜びに満ちて唱えることができるでしょうか。

これは私が思うことなのですが、「喜び、感謝、歓喜etc...」というのは御名を唱える時の最終到達点なのではないでしょうか。最初からそのような気持ちになれる人は、居ないに等しいと思います。仕事でも、勉強でも、スポーツでも、音楽でも、なんでも練習せずにいきなり上手くなんてなれないように、理想の御名の唱え方をいきなりしなさい、と言われても無理です。でも、信じる気持ちがあれば、不安でオロオロする気持ちの中でも唱えずにはおれないはずで、そういう中から、御名に助けられたなぁ、という経験(実際、私もいつも明るい気持ちで唱えられていた訳ではないけれど、たくさん助けられてきたから)を重ねることによって、信愛の気持ちが増して、いつしかそうなれるのだと思います。そこまでいかなくても、私は今は、ただ御名を唱えてさえいれば、心穏やかに安心して過ごすことができています。ババの御言葉に「人が必要な唯一の力は忍耐力です」と言うのがあります。できないからやっても無駄だ、と諦めるのではなく、とりあえずどんな気持ちでいたとしても、信じて唱え続ける忍耐力さえあれば、最終的に、理想の心の状態になれるのだと思います。変容すべきものは心です。心が平安になることです。とにかく信じて唱え続けること、神様を求めて、助けを求めて、叫び続けること、それが大事だと思います。歓喜を期待しすぎるあまり、途中で挫折してはいけません。劇的な体験を期待しすぎてはいけません。返って人からたくさん嫉妬を受けて、苦しい目にあうかもしれません。神さまはとても奥ゆかしいので、あなたがそうならないよう、分からないように助けてくださっているからです。助けられていることを、きちんと感じてください。カリユガの時代、いちばん効果のある霊性修行は、御名を唱えることだとババはおっしゃっています。呼べば呼ぶほど、神様はどんどん近づいてくださいます。神様にはその心の声を聴く力があります。御名には神様を引きつける力があります。そのことに気づくのに、私は何十年もかかりましたが、みんなの力で、皆さんはこの幸せへの御名が終わるまでに気づけるかもしれません。私の場合、カギは歓喜ではなく、神様を信じる力でした。頑張ってください、応援しています。

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