2024年9月3日火曜日

お便り67 【回答】

 御名と御姿を崇めることは、ヴェーダーンタの基本的な教え〔不二一元論〕と矛盾するといえるのか。多分究極にはそうなのでしょう。よってナーマスマラナは妥当ではないのか。哲学者シャンカラは祭祀の意味を否定します。これは祭祀そのものが不要なのか、問題なのか、あるいは祭祀がある特別な条件でしか意味のないのかー直感的にシャンカラほどのひとが嘘をいうとは思えません。しかし祭祀は多く行われています。愛のない祭祀、形式的なだけの祭祀は意味はないでしょうが、本当に神へのバクティに満ちた祭祀は有益だと思いますし、あるいはシャンカラの水準に達したひとは祭祀が不要ということも考えられます。「自分と万物との同一性、万物と自分との同一性を発見しないかぎり、人は波立ちのない静けさ、すなわち揺るぎない光輝を得ることはできません。」とはむしろ手放すという感覚よりも本来的には同一なのに、なぜ、あなたは幻想に拘るのですかという意味かもしれません。自分の外に神を求めるのではなく、自分の内側に神を求めれば本来的には解決する問題なのでしょう、幻想は本来ないのに、正気にもどれば、幻想は消えます。ただ、矛盾のように見えますがそのような幻想を手放すために、シャンカラほどの水準でない我々はナーマスマラナをする意義はあるのではないかと思います。

たぶん難しいので扱いはお任せします。担当者の方への問題提起とするのが妥当かもしれません。当然自分がその水準にはいませんが、どなたかへの意味のあるお話しかもしれないので。

千葉:男性

2024年9月2日月曜日

サイババの、御言葉 2024/9/2

 御名と御姿を崇めることは、ヴェーダーンタの基本的な教え〔不二一元論〕に反しています。
なぜなら、人は、消えゆくもの、束の間のもの、表面的なものを気にかけないよう自分を教育しなければならないからです。
自分と万物との同一性、万物と自分との同一性を発見しないかぎり、人は波立ちのない静けさ、すなわち揺るぎない光輝を得ることはできません。

ティヤーゲーナィケー アムルタットワマーナシュフ
〔手放すことによってのみ、不死は得られる〕

手放しなさい、幻想である外界への幻想を手放しなさい。
手放しなさい、あなたが「与える者・与える物・与えること」のない段階、「始まり・継続・終わり」のない段階に到達するまで。

1971年1月14日

今日の疑問/質問 2024/9/2

 「自分と万物との同一性」に達するため、

どのようにしたら「手放すこと」ができるのでしょうか。

「手放すこと」の障害は。

お便り66

 最近の変化のご報告をさせていただきます。

唱名を始めてから、あんなに大好きだった「食べること」への興味が薄れ「体によい物を食べ、過食をしない」に変化しました。

仕事をしているとどうしても外食でお手軽に済ませたり、夜にお菓子を食べたりしがちだったのですが、今はなくなりました。
すごく体が軽く感じるので、素晴らしい恩恵をいただいたと感じています。
私事で失礼しました。皆さまの体験談などが、自分の励みになっております。

皆さま本当にありがとうございます。

お便り65

 さて、サイババ様の御言葉、
「神の御名を唱えることによって、どんな困難な仕事でも成し遂げることができます。」

私は、この端的な表現をそのまま信じ切って、ナーマスマラナを継続させていただきます。
毎日必ずいただける、神様をより近くに感じられる思いや、数々の気付き、神様に近づくこと以外の、喜びと悲しみ、賞賛と非難、その他相反することのすべての体験をマーヤーとして、自分自身に取り込まない努力をします。
お便りで学ばせていただく多くの方々と同じく、悩みながらも、進まれていることを想像し、私も勇気を持って精進させていただきます。
ありがとうございました。

神奈川:女性

お便り64

 ババ「困難を歓迎し、それに立ち向かう機会、霊性の道を前に向かって進む好機をしっかりつかむ賢明な魂であれ」「私があなたの手助けをしましょう。問題はあなたが思っているほど大きなものではない。少しの忍耐力と愛と理解によって解決されないものはありません。」

ババの言葉の引用は皆さんのためになるかもしれません。

千葉:男性


2024年9月1日日曜日

サイババの、御言葉 2024/9/1

 神の御名を唱えることによって、
どんな困難な仕事でも成し遂げることができます。

お便り63

 さて、サイババ様と、サットサングの皆様に、報告させていただきたいことがあります。
それは、昨日8/30朝、目覚めた時から突然なのですが、バジャンが聴きたくて、聴きたくて、仕方がない衝動に駆られたのです。
私は咄嗟に、スマホで、オーガニゼーションの公式YouTubeチャンネルからサイバジャンのジュークボックス、krishna NO.1を視聴しながら、ストレッチとヨガをしました。そして、昼食時、そして昼食後の後片付けにもかけていました。

今日も、同じくさせていただきました。

とても不思議です。

私は、毎日必ず、ガヤトリー・マントラを唱え、数種類のバジャンは、歌わせていただいておりますが、バジャンを聴きたい、聴いていたい、と思ったのは、昨日からでした。

明日からも、是非継続させていただきます。
ありがとうございました。

神奈川:女性

お便り62

神の御名を唱える。
カリユガの時代、最善で最良で最短で最強のサーダナ。
だからこそ、誰でもできる事ではないと知ってはいましたが、
思っていた以上に、私にとって大きな霊性修行になっています。

御名を唱えることで、エゴや執着が剥がされていきます。
そこで私は激しく抵抗をしているのでしょう。
なかなかつらい...。
生きていて今までにない、心がつらいことが次々と起きる。

だけれども、こうしてみんなと共にやっているという、
支えがあるから今こうしてかろうじて、自分を保っている感じがしています。

スワミ、みなさん、こころより感謝しています。
スワミ、このような状況を与えてくださり、ありがとうございます。

東京:男性

2024年8月31日土曜日

サイババの、御言葉 2024/8/31

 神に、世俗的な利益を求めて祈ってはなりません。
恩寵だけを求めて祈るべきです。
その一意専心の信愛は、長きにわたるサーダナ〔霊性修行〕の実践、特にナーマスマラナのサーダナ(神の御名を唱えながら神を憶念する修行)によってのみ、得ることができます。
あなたにその命と、それほどの知性と、それほどの無執着を与えてくれた主に感謝しなさい。
その感謝の気持ちをあなたの心(マインド)の背景にして、ナーマスマラナをしなさい。

1967年5月23日