2024年9月3日火曜日

お便り70 【回答】

 私達の個我がまとう器、名前や体に粘着する欲望やプライド、怖れといった要素を手放すと、ちっぽけな個我がより大いなる神我と同化し始め、一般的には奇跡と呼ばれるようなシンクロニシティが日常化し、次第に歓喜が満ち溢れていくのかもしれません。

自我を溶かし、我を手放すことによって、チーム・デーヴァの一員となるような感覚でしょうか?精妙な霊性において過去の栄光や社会的な功績はあまり意味をなさず、日々、毎瞬、個我が肉体を去る最後の瞬間まで、自我の喜びを取るか、神我を優先するかの選択を、促されているように思います。

「自分と万物との同一性」に達するため、どのようにしたら「手放すこと」ができるのでしょうか?

という質問が提示されたちょうど前日に、マンディール・プログラムで読み上げられた一つの美しい詩を、みなさんと分かち合いたいと思います。

沈黙という贈り物のために 私のつたない言葉を 汝に捧げます
無垢という贈り物のために 私のささやかな学びを 汝に捧げます
無条件の愛という贈り物のために 偏った判断をする心を 汝に捧げます
平静という贈り物のために 落ち着きのない行動を 汝に捧げます
満ち足りた思いという贈り物のために 尽きることのない欲望を 汝に捧げます
汝の影で生きるという贈り物のために あらゆる名誉や名声を 汝に捧げます
汝の微笑みという贈り物のために 私の取るに足らない快楽をすべて 汝に捧げます
汝に属するという かけがえのない贈り物のために 私のすべてを 汝に捧げます