2024年9月22日日曜日

お便り139

 | どうして、愛は集中力をもたらすのでしょうか。

北海道から羽田に戻り,羽田空港でスマホで写真を撮り食事をしました。
食事が出るまでスマホを観ていました。

食事を終えて帰宅するため駐車場に停めてあった車に乗り込むとスマホが無いことに気がつき慌てました。紐をつけていたましたが、キーホルダーの留め具が弱り外れたようです。
空港内を歩いて来た道を戻ろうと思いました。
羽田空港内でスマホが直ぐ見つかるだろうかとパニックになりました。心の中で神の御名を呼んでいました。魔法のアラジンのように、(ご主人様、おやすいごようです)と出てくる訳ないよと思いつつも、神さまスマホがなんとか直ぐ出てきますようにと心の中で、必死に神の御名を繰り返していました。娘が電話をかけると言うのです。何処にかけるの?ママのスマホに電話をすると言うのです。ロックがかかって開けられないと思いました。
娘はもしもしと話しています。誰と話しているの?拾った人みたいと言うのです。
相手の話しを聞きながら歩き始めて拾った方とお会いできて、直ぐスマホを手にすることができたことに信じられないと思いました。
駐車場のエレベーター前に落ちていて落し物を届けに行くところでした。神様と拾ってくださった方に感謝いたしました。

子供の頃,熱が出たときやお腹を壊したときお腹空いたとき等,母親に直ぐ訴えていました。それと同じで母親や神の愛には、無条件の大きな力の愛があり集中すると思うのです。

神の無条件の永遠の愛に集中力をもたらすのではと思います。

広い空港で神の御名を呼び、5分としないうちにスマホを手にできたことは、偶然なのか?神の愛だったのだろうか?不思議に思いつつも、とにかく直ぐ安心できたことに、
神の永遠の愛に心から感謝いたしました。

神奈川:女性