神の御名をまさに命の息吹そのものであると見なして共にあるならば、堕落や転落に対する恐れをもつことなく、人生のあらゆる活動に携わることができます。
カビールは、織機の杼(ひ)を左右に動かして糸を織っているとき、いつもラーマの御名を唱えていました。火は、つねに互いの木の枝が擦り合っているときにだけ起こるのであって、何回か、あるいは断続的に触れ合うだけでは起こりません。それと同じように、ナーマスマラナは、何時も、明けても暮れても、集中した心(マインド)と信仰のこもったハートで行われ続けて、初めてその恩恵を生み出します。無駄なおしゃべりのせいで気が散ったり散漫になってしまうことから心(マインド)を守りなさい。心(マインド)を絶えず御名の憶持と唱えることに携わらせていなさい。こうしたバーヴァ〔思い、気持ち、態度、姿勢〕、すなわち信愛と結合した信仰心は、じきに叡智(グニャーナ)へと結実するでしょう。しかし、実のところ、バカヴァッド〔神〕の御名は、叡智よりもはるかに甘いのです!
書籍「ナーマスマラナ:神の名前の不思議な力」P.73