| 真我への専心よりも、至高神の御名のほうが、至福を授ける力をもっているのは何故?
真我への専心の場合、真我とそれに専心する者という二元になる。
その一方、神ご自身である御名を唱えることは、唱える行為自体が一つであり、直接的に一元になる。
本当は、この2つが合わされば、さらに最強になる。
真我への専心、真我の探求を行うことで、道を間違えず安全に進むことができる。
御名を唱えることには、さまざまな道の間違い、迷い、傲慢等が生まれやすいが、
真我への専心を行いながら、御名も唱えることで、安全に迷いなく至福を得ることができる。
ということを考えています。
東京:男性