2024年9月7日土曜日

お便り88

 (9月7日の御言葉)

甘く穏やかな言葉がどんな状況にでも適切でないこともあると思う。例えば、子供が熱いやかんを触ろうとした時に、「こうちゃん、そのやかんに触ってはだめですよ」というふうに優しく諭している間に、その子供は大やけどをしてしまう。そういう場合は、「ダメ!」とパチンと手を叩くぐらいしないと、子供はわからない。大人でも、昔、建築関係で働いている人が、「怒りたくないけど、危ないからな」と言っていたことがある。間違えると命にもかかわるような仕事だ。「それは仕方ないよ」と私も思わず言った。私は、その言い方よりも、その人の日ごろの態度を見て、人は言うことを聞いたり聞かなかったりするものだと思う。日ごろの態度に愛が感じられたら、自然とその人の言うことは耳に心に入ってくるものだと思う。ただ、初対面の人は、お互いのことを良く分かっていないので、穏やかに話した方が、トラブルは避けられる。道端で急にいちゃもんをつけてくる人なんかに、まともに怒ったら、逆ギレされて殴られかねない。私の場合、本当に親しい人に大切なことを伝えたい場合、怒る場合もあるが、その場合、怒らない方がいいのは分かっているけど、冷静でいられないので、そこで黙ってコミュニケーションを取らない選択より、理解し合いたい気持ちが勝って言ってしまう。だけど、たいがいは愛から来た言葉なので、お互いが冷静になった時には、理解しあえている。だだ、怒ってしまったのはゴメンね、と埋め合わせはしている。あまり優しく穏やかにを気にしすぎて、コミュニケーション不足になっては、いい人間関係は築けない。それよりも愛があれば、お互いケンカして、許し合って、している方が、よっぽど深い関係が築けると思う。ケンカしても仲直りできる、と思える人間関係の方が、よほど安心感があると私は思います。

大阪:女性