なぜ、神の御名は、「いつも、喜び、感謝、歓喜、そして、その御名の無類さと壮麗さの自覚と共に」唱えなくてはならないのか。
…神様は愛そのもの、そして私達すべてが帰融するべき魂の根源であり、純粋で一点の濁りもないお方なので、これら神様の本質をイメージしながらナーマスマラナをさせていただくことが、即座に神様に届くからなのではないかと、想像しています。
そのように唱えたくても、落ち込んだり怒ったり嫉妬に陥っている時には、なかなかそうはできないかもしれません。
そのようなとき、どうしたら、喜びに満ちて唱えることができるでしょうか。
…私は、このような時にいつも、独自の方法かもしれませんが、神様に出会えた歓喜、それはこの上ない素晴らしい恩寵だと、改めて自覚することから始めます。
そして、自分自身も神様なのだ、という不二一元論(アドヴァイダ)を習いましたので、それを思い起こすことで、あ、そうだった!と、喜びに満ちて唱えることが出来ます。
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