「ジャダ」の意味を考えてみました。
自動力(自分を動かす行動力)のないとは、こういう意味ではないでしょうか。
「完全に静止している状態」すなわち「ひたすらにすべてを信頼しすべてを受け入れて、何も行動せず、何も考えず、ただただそこに存在しているだけの時」。瞑想の時もそうですね。
そういう時に真理(全ては愛、全ては神)すなわち至福を感じる。それが覚醒意識。
例えてみれば、自然の中で横になって目をつむり、太陽の光や木の葉のさえずりをかすかに感じながら、深く自分の内側に入っていく時に感じる心地よさのようなもの。
そういった大いなるものに自分をすべて開放し手放した時に開く別の次元への扉が、覚醒(神)への扉、すなわち「ジャダ」なのだと理解しました。
つまり、あらゆる心配事を神にゆだね、雑念を払い、神を想いながら「無心」に唱える神の御名は、神への扉なのですね。
ただ唱えているだけでも、継続することで、だんだんと神とのパイプがしっかりしてきて、自然とそうなっていくのだと思います。
大阪:女性