すべての人の幸せが、本当の自分の幸せにつながるんだということに気づいた人が、無執着の人に自然になっていくのだと思います。
神の御名を唱えることによって、神とつながり、その神の叡智(皆が苦しいから自分も苦しいんだ)が流れて来た時、自分も含めたすべての人や生き物の幸せのために生きることができるのではないかな。
無執着の人は、何が自分にとって本当に大事なのかが分かっているから、その他の大して重要でないことには執着しないのだろうな。
本当に何にも執着していないのではなく、自分も含めた皆が本当に幸せになることには執着していると思います。
大阪:女性